ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「ぼちぼちいこか」

2011年12月16日 | ファミリーイベント
 日本中で、大阪弁が面白かせられる時代となっているが、それぞれの地域、地方にはそれなりの歴史と伝統のある「お国ことば」というのがあって、私の場合、若い頃の仕事の関係で全国各地を歩くというか、四国、九州は営業仕事で回ったり、北は北海道から南はや沖縄までコンサートやプロモーション、または小冊子の取材を兼ねての旅で回ったことがあるので、この地方色豊かな旅心を感じさせてくれるものに、まずは「お国ことば」、つまり方言というのがあった。

 当然、その地方で出会う人々との語らいの中で、どうしても方言をなるべく使わない様にと心がけている方もいるのだが、私の場合は出来るだけ地方色丸出しの素顔というべきか、いつもの姿、つまり方言丸出しでのコュニケーションが大好きであった。

 初めて出会う人の場合も、その土地の方言交じりの会話を通して親しくなって、ご当地の食文化とでも言うべき美味しくて珍しい料理の舌つづをうつことができれば、それはその土地に行った印でもあり、忘れられない思い出と共に、出会った人をより懐かしく思うことができる様になるので、その橋渡し役の大きなキーワードが、故郷訛りなのである。

 現代人として生きる我々は、やもすると忙しさや事多きことを良しとする様な感じが多いのだが、実際は出来ることなら、誰もがのんびりとゆったりと過ごしたいと思っているはずなのだが、師走と呼ばれるこの年の暮れになると、誰もが「大掃除」「年賀状」「年末支払い」「お歳暮」「クリスマス」「おせち」と大変忙しくなってしまっていて、なかなか「ぼちぼちいこか」という気分にはほど遠いかもしれない。

 実は、先日私の4歳になる大変お喋り好きな、ちょっとオチョケ好きな男の子の孫が、私の妻方のおかぁさんである゜おおばぁちゃん」に会いに大阪に行った折に、何気ない会話の中に「ぼちぼちいこか」という言葉が出たのかもしれないが、ほんの近くのマンションの部屋へ実家から荷物を引っ越すという機会に、自然に「ぼちぼちいこか」という言葉が大阪弁と意識するまでもなく出たらしいのであった。

 四歳の彼は、その「ぼちぼちいこか」という言葉から、私の家に30年ほど前からある絵本で、体重のあるちょっと「おっちょこちょい」のカバが、いろいろと仕事や趣味に挑戦しようと試みるのだが、なかなか自身の体が重たくて、うまく行かないことが続いてしまい、結局最後には「ま、ぼちぼち いこかーと いうことや」で締めくくられた「絵本」を思い出した様で、突然絵本のセリフを言ったというのであった。

 「ぼちぼち いこか」は「マイク=セイラーさく、ロバート=グロスマンえ」の原作を児童文学作家の今江祥智さんが、大好きな関西弁で訳したという絵本で、1980年に出版されていて、私が子どもの遊び場活動のリーダーとして仕事していた頃に、たぶん本屋さんで気に入って購入して以来、多くの子どもたちにも読み聞かせ、我が息子が小さい頃にもよく読んでいた本なので、自宅を探して見ると、ブックカバーがだいぶ破れた状態ながら、中身はそのままあったので、もいちど読んでることにした。

 「かばという動物は、顔つきから動作まで、どことなくのんびり、おっとりしていて、にくめません。そのかば君が、がぜんやる気をだして、がんばってたものの、やっぱりも少しゆっくり考えようよ、というこの絵本の発想が好きです。」そして「とにかく、せちがらく、あわただしい世に、じっくりと自分をつめ、ぼちぼちと自分について考えてることも、たいせつではないでしょうか。」と訳者である今江祥智さんは、?訳者のことばとして記しておられます。

 ぼく、しょうぼうしに、なれるやろか。・・・・・消火作業をしようと梯子に昇ったら、梯子が壊れてしまって、「なれへんかったわ」、ふなのりは、どうやろか。と舟に乗ってみたら、舟はカバ君の重さですぐに沈んでしまい、「どうも こうも あらへん。」そして、パイロットやったらー・・・乗ってた小型飛行機は、かば君の重さで真っ二つに破れてしまい、「と、おもたけどなぁ。」

 なにをやってもーNOということにあいなり、頁をおうごとに、そのNOが大きくなる原書のおかしさが好きですと訳者のことばにある様に、チャレンジしたこと全てがうまくいかず失敗に終わっているのです。

 でも、何やら悔しさや気の毒というのではなく、いろいろとチャレンジしても自分に合った挑戦でないと、そうそううまくは行かないよと、軽い警告というべきか警鐘を鳴らしつつも、カバさんのユニークかつ、楽しげな挑戦の失敗に笑ってしまう感じの絵本に仕上がっていて、何事も皆さん、「ぼちぼちいこか」ということですわと励ましてくれているのです。

 関西弁と言うべきか、大阪弁なのかは定かではありませんが、年の暮れが迫らなくても、よく商売人同士が、「どうです?」と商売繁盛か不振かを聞く様な、大阪特有の普通の挨拶があるのですが、「ぼちぼちですわ」と応えるのが一般的であり、つまり「ぼちぼちやってますわ」というのは、結構「うまく行ってますわ」という意味もあって、ボロ儲けではないが、「何とかお飯は食べられてます。」という、独特の返答でもあるのです。

 大阪人だけではないと思いますが、商売や勉強、あるいは業務がどれほどうまく行っていたとしても、特に商売人は「儲かって仕方がないくらいですわ」とは言わないもので、「いい加減」、つまり、一番上手に何とか動いている状態ですという意味で「ぼちぼちですわ」と言っているのだというのです。

 幼い頃から生まれ育った環境において、それなりの会話やコミュニケーション能力が育っていくのでしょうが、私の孫もやはり大阪の流儀、大阪の習慣的「ことば使い」をいつのまにやら覚えて、これからの人生の荒波をも「ぼちぼちいこか」というニュアンスで泳ぎきって行くのだろうと、改めて絵本「ぼちぼちいこか」を読み返しながら、楽しんでしまいました。
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