今日は午後から京都北山のコンサートホールで行われた第六回命輝け第九演奏会に行きました。
1996年からほぼ2年ごとに開催される、障害者も健常者も交じっての本格的なベートーベンの第九コンサートです。
京都市交響楽団を本多氏の指揮で聴きながら、車椅子に乗ったままの障害者や知的障害者約100名をも含む400人近い一般公募の合唱団が、命輝け第九合唱団と称して、8月頃からの練習を何度も重ねて、本日が本番でした。
私の妻も過去にも何回か参加し、今回もアルトパート100数十人の一人として歌いました。圧巻は何といっても各パートのソリストが登場して、全員合唱が歌われた後半の約20分程なのですが、体全体でドイツ語の歌詞を精一杯歌っているハンディのある人々の顔、顔、声、声でした。
演奏の迫力もさることながら、一生懸命の姿勢が会場中に響き渡り、感動のフィナーレとなりました。
延々と拍手が鳴り止まない会場を後にしたのは、演奏が終わって既に15分以上経ってからでした。
バリアフリーなんて、もう古いぞ。今世紀はユニバーサルデザインの生き方こそ実現されなければならない世紀であることを、改めて実行委員会代表の言葉から障害者問題だけではなく、必要を感じました。
実に、多くの人たちの協賛と協力の輪がここにあり、大きなそして確実な平和と喜びのイベントが続いていることに、改めて大いなる感動を覚えました。
1996年からほぼ2年ごとに開催される、障害者も健常者も交じっての本格的なベートーベンの第九コンサートです。
京都市交響楽団を本多氏の指揮で聴きながら、車椅子に乗ったままの障害者や知的障害者約100名をも含む400人近い一般公募の合唱団が、命輝け第九合唱団と称して、8月頃からの練習を何度も重ねて、本日が本番でした。
私の妻も過去にも何回か参加し、今回もアルトパート100数十人の一人として歌いました。圧巻は何といっても各パートのソリストが登場して、全員合唱が歌われた後半の約20分程なのですが、体全体でドイツ語の歌詞を精一杯歌っているハンディのある人々の顔、顔、声、声でした。
演奏の迫力もさることながら、一生懸命の姿勢が会場中に響き渡り、感動のフィナーレとなりました。
延々と拍手が鳴り止まない会場を後にしたのは、演奏が終わって既に15分以上経ってからでした。
バリアフリーなんて、もう古いぞ。今世紀はユニバーサルデザインの生き方こそ実現されなければならない世紀であることを、改めて実行委員会代表の言葉から障害者問題だけではなく、必要を感じました。
実に、多くの人たちの協賛と協力の輪がここにあり、大きなそして確実な平和と喜びのイベントが続いていることに、改めて大いなる感動を覚えました。
で初参加致しました。本番前までは最後まで唄い切れるか不安でした、夏から村上先生のユーモア交えての楽しいレッスンを受けそ効果を最後まで出し切ることが出来ました。周りの同じ境遇の仲間がいたからこそ我が人生の最高の舞台で歌い上げることが出来た、感動!です。
このような素晴らしいコンサートを企画され、開催された、
皆様方に感謝申し上げます。そして更なる発展を切望いたします。 以上 {玉田}