ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

京都拾得、七夕コンサート!

2005年07月12日 | 感じたこと

 昨日の夜、久しぶりに京都は大宮下立売上ル、ライブハウス拾得(じゅっとく)に出かけた。

 何と33回目を数える、日本で最長の連続年数を誇る「フォークコンサート」である、七夕コンサートを聴きに、私自身は10年ぶりくらいに、拾得に出向いたのである。

 京都の古い住宅街の一角に、1970年代からあった「拾得」という名のライブハウスは、私達にとっては、四条の「たくたく」と並ぶ、京都のライブハウスの老舗であり、ここでコンサートライブが出来ることが、フォークシンガーにとっては誇りであった時代を生き抜いて来た、5名の敢えてフォークシンガーと呼びたい連中の老練の歌声を聴きに行ったのである。

 熱血のブルースを歌う「豊田勇造」、現代の語り部「三浦久」、ロック界の巫女「中山ラビ」、吟遊フォークシンガー「ひがしのひとし」、そしてコンサートの事務局として、33年間歌い、企画し続けてきた、バンジョーと美声の「古川豪」。この5人である。

 33年前、ベトナム戦争の孤児救援を目的にスタートした「七夕コンサート」だが、同じ72年にスタートした、天王寺野外音楽堂の「春一番コンサート」や円山野外音楽堂の高石ともや等の「七夕コンサート」が途切れている今、日本では最長の33年間続く、それも出演者が同じ5人のコンサートとして、今年も開かれたのである。

 最年長の三浦久氏が、当年59歳というから始まった年には、彼とて26歳の若さだったのである。私は縁あって、彼が20代の頃、フォーク系の音楽事務所をしていたので、彼と共に「みなみらんぼう」とコンサートツアーをしたこともあるのである。

 三浦久の歌声は、如何にも「現代の吟遊詩人としての語り部」にふさわしい、言葉と共に低くい歌声は、日本のレナードコーエンか哲学者と言った感じであり、私は彼の説得力ある歌声と、テーマとする人間の詫びさびが大好きである。

 今回も「地球に生きていることが素晴らしい、美しい」と歌う人間賛歌に感動を覚えたのだが、数年前に信州のご自宅を訪ねて、友人と共に聴いた「ミャンマーの青年の抵抗の歌」が懐かしくて、また三浦久の歌声として強く今も心に残っている。

 豊田勇造も、幾多の縁があって、20年近く前になるが、大阪の地下鉄、御堂筋線本町駅で全く偶然に、私は列車の乗り降りの際に、勇造に出会った縁で京都の私の住む町でコンサートを開いたことがあり、彼の熱くて、歌いこんだ「チャオプラヤ川」や「親父の背中」などの声量とブルースぽいギターとハーモニカにしびれたのである。

 他に、古川豪のバンジョーと町内会ソング、中山ラビの今も衰えぬ女性ロックシンガーとしての声の張り、ひがしのひとしの如何にも気取った詩人ぶった歌、それぞれの個性が今も50代のおじさん、おばさんになっても変らぬシンガーとして歌い続けていることの素晴らしさを、多くの同世代の聞き手として共感しつつ、時の経った今を思い、昔のエネルギーと純粋さを懐かしく思い出していた。

 コンサートは4時間近くに及んだが、最後に5人が一同にステージに上がって、ホーボーズララバイを原曲とする旅の歌や、おやすみソングを歌ったのだが、全てのキャラクターがまちまちで、揃わぬところが、如何にも30年以上、自分の個性を全面に歌い続けてきた連中の真骨頂だと、改めて感動と敬意を感じたのである。

 皆んな歳を同じようにとるわけではない。仲間であった高田渡、岩井宏、西岡恭象たちは、今やこの世にはいない存在となってしまっているのに、現に今を生きつつ、昔からのスタイルで歌い続けている、フォークシンガーに心からのエールを送ると共に、私自身の人生にこれからも大いなる影響とエネルギーをもたらしてくれる「永遠の歌」の数々に感謝の気持ちでいっぱいであった。

 実は、今日が私の?回目の誕生日であり、その前夜祭としての「七夕コンサート」を多くの思い出と出会いに感謝して、聴くことができた幸いを重ねて喜ぶものである。
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