先日、日本国内では初めてと言われている6歳未満の小児の脳死判定を受けて、心臓、肝臓、腎臓がそれぞれ臓器移植を待っていた患者に提供されて、各々の手術は無事終了したという画期的なニュースがあった。
日本では2年前にやっと臓器移植法が改正されて以来、大人の脳死判定を受けての臓器移植は従来からも行われていたが、15歳未満の子どもを提供者とする脳死移植が2例あったが、6歳未満の子どもの脳死判定に伴う臓器移植は我が国では始めて実施されたというから、待ちに待たれていた患者さんにとっては、とてもハッピーな知らせだったろうと思うし、術後の経過は順調とのことだが、今後も他者の臓器が移植されたのだけれど、無事に新しい体にマッチして健康を回復してもらいたいと切に祈るばかりである。
臓器移植法の改正前は脳死と判定された子どもの場合は臓器移植が出来なかったのだが、ようやく小さくとも健康な臓器が必要な患者さんに提供されることができるというのは素晴らしいことだと思うのである。
従来は子どもの臓器提供が出来なかったため、また乳幼児たちの臓器提供が必要な難病などの患者は、海外へ臓器移植を求めて多額の費用を捻出して渡米などして実現していたケースが多かったのだが、国内でもできる前例が出来て、今後の患者さんたちにとっては光明の光が差した感じではないだろうか。
今回は心臓と肝臓が大阪と東京の10歳未満の子どもに提供されたらしいしが、肝臓については60歳以上の大人に提供されたと報道を聞いて、6歳というまだ未発達な子どもの腎臓が大人の患者に提供されてもすぐ役立つのか少し疑問に感じたのだが、たぶんまだまだ若くて健康な腎臓ということなので、提供されて移植された大人の方は腎臓だけは特別若返ったということになるのである。
今回の富山の6歳の男児の脳死判定の場合は、わが子が死んでもその臓器がどなたかの体内で元気に行き続けていくのであるならば幸いと思うと言われたご両親の決断で幼児からの三つの臓器移植が実現したのだが、なかなか我が子の突然の脳死判定に際して、臓器提供と言う決断が幼い子どもを亡くした親にすぐにできるかどうかは大変微妙な感情と想いが左右すると思われるのである。
臓器移植ネットワークというという団体があって、日本国内での臓器移植についてのエキスパートとして各種のケースの対応と情報整理や公開などを行っていると聞くが、提供者のプライバシーをはじめとする微妙な情報管理と、提供者と提供を受ける側の情報などを病院、医師らと共に的確に判断するという大変厳しい支えが必要な仕事であることは間違いない。
現代の日本の医療体制での臓器移植を巡る状況は、まだ欧米諸国の実態と比べると遅れているという印象はまだ拭えないのだが、今後小児だけでなく臓器提供を行うという大きな決断を倫理的にも感情的にも提供側と受ける側のキャッチボールを、病院や医師だけが行うのではなく、微妙なモラルの問題やご家族の思いなどを細やかに察して実施できるように、専門的なカウンセラーや専門職員が必要だと思われるのである。
どんな難病や処置不可能な病状に陥っても、臓器移植による命を継続させることができるというケースが、現代医学の上で可能になってきているとすれば、誰しもが移植による救いを待っている人たちがたくさんいると思われるので、是非今回の例を稀なケースとしない様に、慎重かつ大胆に少しでも救える命を大切に永らえさせるために、より一層の臓器移植の可能な対応を進めていただきたいと思うのである。
日本では2年前にやっと臓器移植法が改正されて以来、大人の脳死判定を受けての臓器移植は従来からも行われていたが、15歳未満の子どもを提供者とする脳死移植が2例あったが、6歳未満の子どもの脳死判定に伴う臓器移植は我が国では始めて実施されたというから、待ちに待たれていた患者さんにとっては、とてもハッピーな知らせだったろうと思うし、術後の経過は順調とのことだが、今後も他者の臓器が移植されたのだけれど、無事に新しい体にマッチして健康を回復してもらいたいと切に祈るばかりである。
臓器移植法の改正前は脳死と判定された子どもの場合は臓器移植が出来なかったのだが、ようやく小さくとも健康な臓器が必要な患者さんに提供されることができるというのは素晴らしいことだと思うのである。
従来は子どもの臓器提供が出来なかったため、また乳幼児たちの臓器提供が必要な難病などの患者は、海外へ臓器移植を求めて多額の費用を捻出して渡米などして実現していたケースが多かったのだが、国内でもできる前例が出来て、今後の患者さんたちにとっては光明の光が差した感じではないだろうか。
今回は心臓と肝臓が大阪と東京の10歳未満の子どもに提供されたらしいしが、肝臓については60歳以上の大人に提供されたと報道を聞いて、6歳というまだ未発達な子どもの腎臓が大人の患者に提供されてもすぐ役立つのか少し疑問に感じたのだが、たぶんまだまだ若くて健康な腎臓ということなので、提供されて移植された大人の方は腎臓だけは特別若返ったということになるのである。
今回の富山の6歳の男児の脳死判定の場合は、わが子が死んでもその臓器がどなたかの体内で元気に行き続けていくのであるならば幸いと思うと言われたご両親の決断で幼児からの三つの臓器移植が実現したのだが、なかなか我が子の突然の脳死判定に際して、臓器提供と言う決断が幼い子どもを亡くした親にすぐにできるかどうかは大変微妙な感情と想いが左右すると思われるのである。
臓器移植ネットワークというという団体があって、日本国内での臓器移植についてのエキスパートとして各種のケースの対応と情報整理や公開などを行っていると聞くが、提供者のプライバシーをはじめとする微妙な情報管理と、提供者と提供を受ける側の情報などを病院、医師らと共に的確に判断するという大変厳しい支えが必要な仕事であることは間違いない。
現代の日本の医療体制での臓器移植を巡る状況は、まだ欧米諸国の実態と比べると遅れているという印象はまだ拭えないのだが、今後小児だけでなく臓器提供を行うという大きな決断を倫理的にも感情的にも提供側と受ける側のキャッチボールを、病院や医師だけが行うのではなく、微妙なモラルの問題やご家族の思いなどを細やかに察して実施できるように、専門的なカウンセラーや専門職員が必要だと思われるのである。
どんな難病や処置不可能な病状に陥っても、臓器移植による命を継続させることができるというケースが、現代医学の上で可能になってきているとすれば、誰しもが移植による救いを待っている人たちがたくさんいると思われるので、是非今回の例を稀なケースとしない様に、慎重かつ大胆に少しでも救える命を大切に永らえさせるために、より一層の臓器移植の可能な対応を進めていただきたいと思うのである。
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