ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

無人島の馬毛島!

2005年02月27日 | ガリバー旅行記
 今から何年前だったか、80年代の半ばに鹿児島県種子島西之表市の対岸にある「馬毛島」をお借りして、子ども達の「無人島冒険学校」を7泊8日で開催したことがあった。

 私が子どもたちの遊び場活動団体のスタッフとして、それまでの沖縄での無人島冒険学校とは違ったロケーションの下で、企画開催しようと思い、きっかけは忘れてしまったのだけれど、種子島の沖合いに浮かぶ馬毛島を知って実施したのである。

 かつては、跳び魚漁で賑わった馬毛島は、島民500人を数えたが、時代の変遷により漁が下火になったり船の高速安全化で、不便な島暮らしの必然性がなくなって人が去って無人島となったそうで、私達が使わせていただいた当時には、まだ小中学校校舎や住居跡も少しは残っていたのである。
来たのであった。

 その当時、この島は原発の廃棄物の処分地や自衛隊などの軍事的基地や施設の設置候補地になっていたりと、日本社会の多様な利害と機能の受け皿にもなる可能性もあったことは、多くの国民が知るよしも無いのだが、私達はそんなことは露知らず、この島の自然と海を満喫した1週間を少し興奮気味でおくったことを今でも昨日の如く覚えている。

 馬毛島には、馬毛鹿と呼ばれるシカがたくさんいて、人間達が去ってしまった島の主のごとく、何とか生活していた様であるが、気象異常等による自然の餌の不作などの影響かどうか不明だが、対岸の種子島に向かって大海を泳ぎ渡ったシカがいた話を伺ったこともあり、犬のマリリンの様に恋人を訪ねて海を渡る鹿かも知れないと思って感動した記憶もあった。しかし海岸線には鹿のシャレコウベが落ちていることもあり、過酷な自然界で生きる厳しさや鹿の一生やファミリーを想像することもあった。

 また真夏の満月の夜に海がめが産卵にやって来ていて、多くの子ども達と、その一部始終を見ながら、砂浜から海に返って行く、たくさんの小亀たちに、声援を送りながら涙していた子もいたことを思い出すのである。

 よくよく考えて見れば、私たち町に暮らしている子どもや大人たちにとって、夏休みの貴重な自然体験となった「無人島冒険」であったが、100名近い人間が、無人島であった「馬毛島」に上陸して1週間生活したとしても、全く「有人島」化した自然体験プログラムと変化していたわけで、子どもたちにとっては、水や食糧や医者も備えられた「無人島冒険」であったのである。

 余談だが、その後もう一度「馬毛島」を私達の「無人島冒険学校」で使用したいと願って、申し出た時があったのだが、何と馬毛島のトノサマバッタが異常繁殖して、小さな島のイネ科等の植物餌の草を全て食べ尽くしてしまって殿様バッタは、突然変異的に肥大化して、飛べる羽根機能を携えて、種子島まで餌を求めて飛来するに至った現象が生じて、開催には適さないと諦めた経緯もあった。

 種子島は、昔の鉄砲伝来の地として有名だが、現在はやっと成功した、日本の多機能衛生を打ち上げるH2型ロケットの発射基地もあり、とっても自然も人も温暖な島なのだが、その向い側に「馬毛島」と呼ばれる小さくても多様な歴史といわく付きの島が存在していることを知る人は少ないのではないだろうか。

 
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