衆議院総選挙まで後1週間ちょっとしかないところまで来て、突然の如く嘉田滋賀県知事がたちあがった様な形で「日本未来の党」なる新党が生まれ、ともかく「卒原発」をスローガンに総選挙を戦い、小選挙区を中心に100名もの候補者を立てるということになった。
今回の総選挙を前に、何とも理解に苦しむ様な「少数政党の林立」が始まり、一時は既成政党も含めて14党や15党という多数の政党による国会議員選挙という史上稀なる選挙戦が予想されて、マスメディアは連日各政党の特徴、主張などの違いを報じようとしているのだが、国民有権者には、まるで競馬レースの○頭立ての様な感じで、どの馬が本命なのか対抗馬なのか、それとも穴なのか、全然見当がつかないと言った様相を呈していた。てか
そんな状況の中で、第三極と称されている自民、民主の二大政党とは異なる既成政党以外の新興勢力的政党間での連携や協力といった選挙の前哨戦的駆け引きや話し合いが行われていたらしく、石原慎太郎氏と橋下徹氏がタッグを組んだを日本維新の会一派と袂を分かつ勢力の結集を図るべく誕生したのが、「未来の党」というわけである。
確かに昨年春の東日本大震災てという未曾有の大災害を受けてメルトダウンをおこしてしまった、東京電力福島第一原子力発電所の1号機から4号機の破滅的な事故による、放射性物質の飛散、拡散の影響は多大であり、いまだに故郷の住み慣れた場所へは帰れない人々が多くおられる中、政府民主党はマニフェストで一応2030年代での原発ゼロを目指すとしているが、自民党にいたっては経済界の強い要望もあってか、これから3年間で原発に依存しないエネルギー政策を考えるというお題目を唱えているに過ぎない。
そんな両党はともかく、共産党や社民党などの既成政党の中では、政策公約としての原発ゼロや脱原発を掲げる政党はあるものの、すでに手垢がついた政党とのイメージも強くて、国民有権者の中に多くの不安と共に、いったい誰がどの政党が「原発を無くして代替エネルギーへの移行」を強力に進めてくれるのか甚だ疑問だし、今回の総選挙では投票できる政党がわからないという声さえあったのである。
そうした衆議院選挙を前に、何と水面下であの小沢一郎氏が動いていたらしく、約2ヶ月前から今回の嘉田滋賀県知事とは会っていて、数日前の未来の党の記者会見から数時間後には、既成事実の様に「国民の生活が第一」という自らの党を解党し、嘉田知事を代表とする「日本未来の党」に合流を決めたのである。
何とも手際のいいと言うべきか、それとも自分は表に出ないで影の人として演出しようとしているのかは定かではないが、結局は小沢新党だと揶揄されるに至る様な工作というべき働きを、実は小沢一郎氏がまたもやしていたわけである。
実は、自民党時代の小沢一郎氏は若くして党の幹事長という要職を担うなどの大物ぶりを示していたのだが、全ては時の首相であった田中角栄氏の下での政治家としての出世でもあり、当時の自民党内での「角福戦争」とまで言われた福田赳夫氏一派に属していた感のある石原慎太郎氏とは因縁の仲、つまり犬猿の仲の延長なのである。
つまり、第三極を目指す少数政党が乱立する中で、如何に主導権を握れるのかという権力闘争が、水面下で行われていて、ついに小沢一郎はクリーンなイメージが強い、女性であり卒原発を主張する嘉田滋賀県知事を説得し、河村名古屋市長や山田元農水大臣などの民主党離党組の中でも著名な政治家と共に、坂本隆一氏や脳科学者、加藤登紀子などの有名人や稲盛京セラ会長なども登場させて、イメージアップを図ろうとしているのである。
結論的には、私自身は卒原発という目標には賛成なのだが、その目的のためには日本未来の党を支援するかと問われれば、別次元の話と思えてならないのである。
角福戦争の再来などと揶揄される様な権力闘争では、日本の未来は決して安心できる暮らしの国とはならないと思うからである。
今回の総選挙を前に、何とも理解に苦しむ様な「少数政党の林立」が始まり、一時は既成政党も含めて14党や15党という多数の政党による国会議員選挙という史上稀なる選挙戦が予想されて、マスメディアは連日各政党の特徴、主張などの違いを報じようとしているのだが、国民有権者には、まるで競馬レースの○頭立ての様な感じで、どの馬が本命なのか対抗馬なのか、それとも穴なのか、全然見当がつかないと言った様相を呈していた。てか
そんな状況の中で、第三極と称されている自民、民主の二大政党とは異なる既成政党以外の新興勢力的政党間での連携や協力といった選挙の前哨戦的駆け引きや話し合いが行われていたらしく、石原慎太郎氏と橋下徹氏がタッグを組んだを日本維新の会一派と袂を分かつ勢力の結集を図るべく誕生したのが、「未来の党」というわけである。
確かに昨年春の東日本大震災てという未曾有の大災害を受けてメルトダウンをおこしてしまった、東京電力福島第一原子力発電所の1号機から4号機の破滅的な事故による、放射性物質の飛散、拡散の影響は多大であり、いまだに故郷の住み慣れた場所へは帰れない人々が多くおられる中、政府民主党はマニフェストで一応2030年代での原発ゼロを目指すとしているが、自民党にいたっては経済界の強い要望もあってか、これから3年間で原発に依存しないエネルギー政策を考えるというお題目を唱えているに過ぎない。
そんな両党はともかく、共産党や社民党などの既成政党の中では、政策公約としての原発ゼロや脱原発を掲げる政党はあるものの、すでに手垢がついた政党とのイメージも強くて、国民有権者の中に多くの不安と共に、いったい誰がどの政党が「原発を無くして代替エネルギーへの移行」を強力に進めてくれるのか甚だ疑問だし、今回の総選挙では投票できる政党がわからないという声さえあったのである。
そうした衆議院選挙を前に、何と水面下であの小沢一郎氏が動いていたらしく、約2ヶ月前から今回の嘉田滋賀県知事とは会っていて、数日前の未来の党の記者会見から数時間後には、既成事実の様に「国民の生活が第一」という自らの党を解党し、嘉田知事を代表とする「日本未来の党」に合流を決めたのである。
何とも手際のいいと言うべきか、それとも自分は表に出ないで影の人として演出しようとしているのかは定かではないが、結局は小沢新党だと揶揄されるに至る様な工作というべき働きを、実は小沢一郎氏がまたもやしていたわけである。
実は、自民党時代の小沢一郎氏は若くして党の幹事長という要職を担うなどの大物ぶりを示していたのだが、全ては時の首相であった田中角栄氏の下での政治家としての出世でもあり、当時の自民党内での「角福戦争」とまで言われた福田赳夫氏一派に属していた感のある石原慎太郎氏とは因縁の仲、つまり犬猿の仲の延長なのである。
つまり、第三極を目指す少数政党が乱立する中で、如何に主導権を握れるのかという権力闘争が、水面下で行われていて、ついに小沢一郎はクリーンなイメージが強い、女性であり卒原発を主張する嘉田滋賀県知事を説得し、河村名古屋市長や山田元農水大臣などの民主党離党組の中でも著名な政治家と共に、坂本隆一氏や脳科学者、加藤登紀子などの有名人や稲盛京セラ会長なども登場させて、イメージアップを図ろうとしているのである。
結論的には、私自身は卒原発という目標には賛成なのだが、その目的のためには日本未来の党を支援するかと問われれば、別次元の話と思えてならないのである。
角福戦争の再来などと揶揄される様な権力闘争では、日本の未来は決して安心できる暮らしの国とはならないと思うからである。
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