子どもは、ほんとうに宝物である。
どんな大人たちも、子供達の笑顔や言葉に心から癒されたり励まされたりすることがある。
私の友人のお孫さんに纏わるエピソードで最近とっても笑い、心から温かな子供達の素直な気持ちを感じたことを紹介しよう。
皆さんも知っている名画で、ゴッホ作の「ひまわり」は、最近はシャープの液晶テレビのコマーシャルで、吉永小百合さんによって画面いっぱいに紹介されているので、改めて身近な作品となっている。
友人のお孫さんの小学一年生の男の子T君は、明るく元気な姉とおしゃまで面白い妹の三人兄弟で、ママは絵を描いたりパパも木彫を彫る仕事をされていて、三人とも絵が上手であり、この家では幼稚園の時から小学校に至る現在まで「絵で入賞」するのが話題になることが多くあるのだそうだ。
そんな娘の家族をいつも愛おしく見つめながら、時折やってくる孫達の成長を見守っておられるおばぁちゃんである知人は、最近近くの「油絵教室」で「絵の手ほどき」を受けだして、まずは好きな絵の模写から始めることになった。
最初に選んだ作品が、ゴッホの「ひまわり」であり、丁寧に模写をした作品が出来上がり、自宅の部屋に飾っていたそうである。
そこへやって来た孫達が「おばぁちゃんの絵」として見ていたところ、ある時テレビで、その絵が映り、吉永小百合さんが、その絵と共にCMに出ているのを発見し、T君は、「あ、おばぁちゃんの絵」と思ったそうなのである。
それから彼は、すごいなおばぁちゃんの絵がテレビに映っていて、たぶん入賞したんだろうと思ったらしく、暫くしてママの実家である、おばぁちゃんの家にやって来た時に、玄関を開けるやいなや「おばぁちゃん、おめでとう!」「おばぁちゃんの絵が入賞したんやろ」と勢いよく笑顔で言ったのだそうである。
彼にとっては、「模写」などという言葉は知らないし、ほとんど同じにしか見えない、ゴッホの「ひまわり」も、おばぁちゃんの絵としか思えなかったのである。
素晴らしいのは、テレビのコマーシャルを見て、「おばぁちゃの絵」だと直結し、しかも「入賞」という自分達の「褒められた記憶」とダブって、おばぁちゃんも「入賞したんだ」と直感したことである。
そして、おばぁちゃんに会うなり、「入賞おめでとう!」と満面の笑みで褒めたことである。
純粋無垢とは、こんなことを言うのだろう。ほんとうに彼にとっては「テレビで紹介されるほど、おばぁちゃんの絵」は「入賞」にあた得るほどの作品だったのである。
結局、おばあちゃんとママの「違う」という説明を暫く聞いて、本人は間違いを知ったのだろうが、とにかく「おばぁちゃんの絵」が入賞したと思った発想の素直さと純粋さには脱帽である。
大人になるということは、経験や学習による知識や固定概念に包まれて、自由な発想や思い付きができなくなることではないだろうか。
少しでも「大人にならない心と感性」を持ち続けたいものである。
どんな大人たちも、子供達の笑顔や言葉に心から癒されたり励まされたりすることがある。
私の友人のお孫さんに纏わるエピソードで最近とっても笑い、心から温かな子供達の素直な気持ちを感じたことを紹介しよう。
皆さんも知っている名画で、ゴッホ作の「ひまわり」は、最近はシャープの液晶テレビのコマーシャルで、吉永小百合さんによって画面いっぱいに紹介されているので、改めて身近な作品となっている。
友人のお孫さんの小学一年生の男の子T君は、明るく元気な姉とおしゃまで面白い妹の三人兄弟で、ママは絵を描いたりパパも木彫を彫る仕事をされていて、三人とも絵が上手であり、この家では幼稚園の時から小学校に至る現在まで「絵で入賞」するのが話題になることが多くあるのだそうだ。
そんな娘の家族をいつも愛おしく見つめながら、時折やってくる孫達の成長を見守っておられるおばぁちゃんである知人は、最近近くの「油絵教室」で「絵の手ほどき」を受けだして、まずは好きな絵の模写から始めることになった。
最初に選んだ作品が、ゴッホの「ひまわり」であり、丁寧に模写をした作品が出来上がり、自宅の部屋に飾っていたそうである。
そこへやって来た孫達が「おばぁちゃんの絵」として見ていたところ、ある時テレビで、その絵が映り、吉永小百合さんが、その絵と共にCMに出ているのを発見し、T君は、「あ、おばぁちゃんの絵」と思ったそうなのである。
それから彼は、すごいなおばぁちゃんの絵がテレビに映っていて、たぶん入賞したんだろうと思ったらしく、暫くしてママの実家である、おばぁちゃんの家にやって来た時に、玄関を開けるやいなや「おばぁちゃん、おめでとう!」「おばぁちゃんの絵が入賞したんやろ」と勢いよく笑顔で言ったのだそうである。
彼にとっては、「模写」などという言葉は知らないし、ほとんど同じにしか見えない、ゴッホの「ひまわり」も、おばぁちゃんの絵としか思えなかったのである。
素晴らしいのは、テレビのコマーシャルを見て、「おばぁちゃの絵」だと直結し、しかも「入賞」という自分達の「褒められた記憶」とダブって、おばぁちゃんも「入賞したんだ」と直感したことである。
そして、おばぁちゃんに会うなり、「入賞おめでとう!」と満面の笑みで褒めたことである。
純粋無垢とは、こんなことを言うのだろう。ほんとうに彼にとっては「テレビで紹介されるほど、おばぁちゃんの絵」は「入賞」にあた得るほどの作品だったのである。
結局、おばあちゃんとママの「違う」という説明を暫く聞いて、本人は間違いを知ったのだろうが、とにかく「おばぁちゃんの絵」が入賞したと思った発想の素直さと純粋さには脱帽である。
大人になるということは、経験や学習による知識や固定概念に包まれて、自由な発想や思い付きができなくなることではないだろうか。
少しでも「大人にならない心と感性」を持ち続けたいものである。
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