ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

嬉しいことは忘れない!

2005年09月15日 | 感じたこと
 私の母は、数年前から心身ともに弱ってきて85歳を過ぎてから、所謂老人性痴呆症、現在の言い方では「認知症」の症状を徐々に呈していて、月に一度は大学病院の診察を受けながら、痴呆が進まない薬を毎日服用している状態である。

 父が亡くなってから30数年間一人暮らしの母のいる実家へ、私は都合がつけば、月に二度ほど1時間あまりの距離を車か電車で訪ねて、何とか母の顔と様子を見に行って一緒に食事をすることにしているのである。

 今日も夕方、仕事を終えて電車で大阪の実家を訪ねようと思い、朝9時頃に電話をしたところ、補聴器の調子が悪いのか、なかなか意が伝わらない面もあったが、とにかく6時ごろに行くと伝えておいたのである。

 実家を訪ねると母はうとうとしていたのか、眠そうな眼差しで玄関口に出てきたが、嬉しそうに迎えてくれた。一緒に夕食を食べに行こうと誘ったが、あまり御飯は食べたくないと言うのである。何故かと聞くと、「おなかが空かない」との返答であった。

 台所には、ホームヘルパーさんが作られた「おかず」が何点かあり、近くのスーパーで買ってきた「お惣菜」や「果物」もあったので、外出して一緒に食事をするのは止めて、居間の小さなテーブルで夕食をいただいたのである。

 母は果物は食べたのだが、その他のおかずや御飯を食べ様としないので、「お昼ご飯は食べたの?」と尋ねても、「何か食べたの」と聞いても、「忘れた!」としか答えないのである。そして「食べたくない時は食べない方がいいの」とあっけらかんとしているのだ。

 そこで私が「お昼何を食べたのかも忘れた」のなら、私が朝、母に電話して「夕方行くよ」と言ったのも忘れてた?と尋ねたところ、「忘れてへんよ、嬉しいことは忘れないよ」と言ったのである。

 私はびっくりしつつ大変嬉しい返答だと心から思って、今夜のブログに書きとめようと思った次第なのである。

 何でも、ついさっきの出来事や自分の言ったこと、したことも忘れがちな母なのだが、「うれしいことは忘れない!」と言った名言を、私は「決して忘れない」と思う。

 それから、母は敬老祝いとして市から貰った「黒飴」の袋を指差しながら、昔に地域の民生委員をした時に、「老人のお祝いに何を贈ったらいいか」との協議の席で、「お年寄りには飴がいいのでは」と提案したのだと言う。

 ここ数年、自分が提案した「飴」なのだが、たくさん貰っても「食べないし、ほっとくと砂糖に戻ってしまうから、持ってかえって」と私に持ち帰れと勧めるのである。それも3時間ほどの滞在中に4,5度も同じことを繰り返して言うのである。

 また、母が娘時代を過ごした岡山の田舎町で、いつも学校から帰って家にいると、家の用事や手伝いをさせられるので、好きな本を持って裏山に登って、日が暮れるまで木の上で本を読んでいたので、足腰が丈夫で「寝たきりにはならない」という話などを、何度も何度も、昔の光景が浮かぶ様に話し続けるのである。

 同じ話を聴かされながら、私は「さっき聞いたよ3度目だね」などと自問自答しながら、昔のことや本人のこだわる話題は、何度も忘れないものだと改めて感心したのである。

 帰りがけに誰かに貰ったのか、黒飴ではなく乾麺の「うどんの束を2束」持って帰るようにとくれたので、手に抱えて実家を後にし、電車で家路についたのである。

 本当に、「嬉しいことは忘れない」と言った母の言葉を胸に抱いて、今日も何とか明るく元気な母に出会えて、よかったと思いつつ40分ほどの電車に乗って、我が家に近い最寄の駅で降りたのである。

 「あっ!忘れた!」と気がついたのは自宅に帰ってからであった。母に帰りがけに貰った2束の乾麺のうどんを、新聞紙に包んだまま電車の網棚の上に置き忘れたのである。

 決して嬉しくなかったわけではないのだが、少々電車が混んでいたために網棚に載せた「うどん」を、座席が空いて座った瞬間から忘れてしまって、電車を降りて帰ってしまったのである。

 母の「嬉しいことは忘れない」の言葉を心の中で、もう一度思い出しながら、JRに問い合わせの電話をかけたら、数分後に忘れ物の「うどん」が見つかったとの電話があって、無事「忘れかかった母のくれたうどん」が返ってくることになった。

 本当に良かったと感謝である。「嬉しいことは忘れないでおこう!」

 

 
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1 コメント

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忘れない様な嬉しいこと。 (こだま)
2005-09-19 09:32:35
 私の人生において、忘れられないような嬉しいこと、楽しいことがどれほどあっただろうか。

 きっといっぱいあったはずなのに、すぐに忘れてしまっているのは何故なんだろうか。

 本当に、その時、その日の出来事に、一生けいめいになっていないからではないだろうか。

 毎日、いつも通りの生活だと思っていて、もっと刺激が欲しいなどと思っているが、日常の暮らしに一杯、嬉しいこと、楽しいことがあるのに。
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