ガリバー通信

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日本の農業の将来は。

2006年05月27日 | 日本の課題
 地元の京田辺市大住地区の府営の圃場整備が完成し、記念碑の除幕式と完成祝賀式が行われた。

 時折小雨が降る中、地元の農業関係者をはじめとする府や市の来賓を含め、約120名ほどが参加して、式辞に続いて来賓の祝辞が続いた。

 私は、周辺の圃場整備がなされた「田畑」を見ながら、今回の圃場整備、つまり田畑の区画整理に投じられた巨額の税金について思いをめぐらせていた。

 聞くところによると、ほとんどの田畑の持ち主である農業者は、兼業農家となっており、多くても五反か六反程の田んぼで毎年水稲を栽培されているらしく、お米が実って、全て高く売れたとしても、せいぜい80万円ほどの収入にしかならないのが現状であり、そのための農機具などへの投資やローンの返済のために、農業を続けていると言った感が、現実だというのである。

 つまり、キレイになった田畑を、今後も精力的に「日本の農業従事者」として、耕し、農作物を意欲的に作っていくと言った感じの農業者は、ほとんど皆無の、末期的状況になっていると言っても過言ではないのである。

 そんな農村、農業の実態の中で、農地が多額の土木事業として整備されて行く。

 どの様に理解し、見守ったら言いのだろうか。

 つまり現在の多額投資が、将来の日本の農業基盤に大いに役立つならば、嬉しい限りなのだが、殆どはそうした展開を見るよりも、後継者不足、農業従事者が採算性を考えると、やってられないと言う現状から。農地で農業をしなくなる日も近いと思われるのである。

 と言うことは、この「圃場整備」と言う名の公共事業は、いったい何のためになされているのだろうか。穿った見方をすれば、これも地元の土木建築事業者のための、税金によるサービス事業と言うことにもなるのである。

 地元の高齢の農業従事者たちが、いかにもお百姓さんと思える姿ではなく、晴れがましい席ということで、背広にネクタイという出で立ちで列席されてはいたが、果たして胸のうちは、どんな心境だったのだろうと思うのである。

 仕事はきついし、お金にはならない。その上、農薬などの散布による健康被害や体調を壊す人たちもいる中で、晴れがましい「圃場整備完成式」なる記念の日に参列した地元の方々の手は、いかにも百姓の手と思える、黒光りしたごっつい手が多かった。

 これから、この圃場がいつまで、稲作や野菜作りに活かされるのかは、はなはだ疑問ではあるが、少しでも「日本の農業」の担い手が増えて、有効に田畑が活用され、将来の日本の地元産の食の一部でも確保されることを強く望まざるを得ない。

 ほんとうに、この圃場整備が無駄になることのない、素晴らしい農場として、今後も優良農地として続くことを祈っている。

 すぐ傍の田畑は、既に優良農地といわれていたのに、第二名神高速道路の立地予定とリンクして、工業専用地域の拡大事業として、市が買収、造成、整地して、大手企業へ売却されてしまっているのである。


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1 コメント

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農業より農の再生を (ミーシャン)
2006-05-29 21:03:46
 日本の農業は、とっくに崩壊している。農業、農村基本法なる法律が新たに出来たりはしているが、自然界での人間の食物を生産するという農の原点を忘れて、生業、つまり経済のみが突出した「農業」ばかりがまかり通る世の中にしてしまったので、「自然の生態系と調和しながら」の「農」つまりアグリカルチャーが消滅寸前になっているのだ。

 農薬付けで、機械化大規模農業などという、アメリカ資本主義の農業戦略の影で、モンサント社をはじめとする大手農薬、遺伝子組換種子戦略が侵攻している。

 日本の農は、アメリカの農業戦略で瀕死の状態にされてしまっているのだ。
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