ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「芒種」という二十四節気。

2011年06月06日 | 季節の話題
 今年は何故か五月下旬に全国的に「梅雨入り」して、早や2週間近くになるが、六月六日は「芒種」と呼ばれる、二十四節気の第九番目で立夏と夏至の間にあたる日になっている。

 「芒種」(ぼうしゅ)とは、稲や麦など「穂が出る穀物の種を蒔く」という意味であり、この頃は種まきを始める農家が忙しくなる時期とされている。

 しかし、昨今の気候の不順さや地球温暖化の影響もあって、既に日本国中の多くの地域では、既に「田植え」がされていると思われるので、その前に行われる「苗床」のための「種まき」も既に一ヶ月ほど前に終わっている場合が多いと思われる。

 私の住む京都南部、山城地方でもいたるところで「田植え」がなされていて、先週末の土日も半農半勤め人の農家では急いでの「田植え」をしようとされていたのか、路上に「稲の苗床」が一塊落ちていたことがあって、少しもったいない気がしたので、よほど車を停めて拾得し我が田んぼを作ろうかと思ったほどであった。

 確かに農家が忙しくなる季節なのだが、東日本大地震の被災地においてはそれどころではなく、いまだ避難場所での生活を余儀なくされている農家、農業専業の方もいると思われるので、「芒種」も全国的には今年は出来ないところもあるのである。

 「梅雨入り」して、近くや移動する近辺の道路脇から、田んぼに水が張られて、稲の苗が田植えされている光景を目にすると、ほんとうにお百姓さんのご苦労に感謝すると共に、秋の稲刈り、収穫まで、どうか台風や暴風雨の被害にあわずに育ってもらいたいものだと心から願う気持ちになるのは、私たち日本人が「農耕民族」としての歴史が長く、たぶん体内のDNAに、そうした「感性」が埋め込まれているせいなのではないかと思っている。

 ほんとうに「緑のたんぼ」、すなわち「稲の苗が植えられた」田園地帯は、ただ単なる「米の生産地」というだけでなく、日本の農村地帯の原風景として、また食物生産現場としての伝統と誇りを感じさせてくれるし、自然環境とマッチした「環境保全」の一端を担っているというべきだろう。
 そんな「たんぼ」も、時代と共に様変わりしているのは、ひとつは人手不足からくる機械化、そして「農薬漬け」の危惧があるのではないだろうか。

 いくら「安全、安心」の食糧生産と言っても、肝心要の「人手」が足りなければ、そして前述した如き、「半農半勤め人」と言った農業形態では、なかなか「無農薬」や「有機栽培」と言った手間隙かけた「米作り」が出来ないのではないだろうか。

 最近の一般的な農協やスーパー、中には生協と呼ばれる昔は「産地から安全な食物を」と言った理念で始まった消費者参加の組合組織でさえ、需要と供給のバランスの問題を契機に、現在は一部の組織を除いては、「有機」や「無農薬」の米の取り扱いすら行っていないくらいになってしまっている。

 「種を蒔く」という神聖かつ人間の英知に基づく「農産物」を栽培する術すら、現代社会の価値観の中で、自然な姿を失いつつあり、時期もさることながら、自然な「いのち」を自然に近い形で生産し、我々の「いのち」の源となる「食物」として我々の口に入るといった自然な流れが、自然でなくなってきていると言えるのではないだろうか。

 「芒種」と言われる本日、改めて日本の農業、特に「米作り」についての「無農薬」「有機」栽培を見直してがんばっている農家とお百姓さんに賛辞をおくりたいと思うのである。

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