ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

理想は三世代同居。

2011年06月05日 | ファミリーイベント
 明治、大正、昭和、平成と日本の社会の変動に伴って、特に戦後経済の高度成長期を境にして、日本社会の家族構造が大きく変化しだして、いまや三世代同居という形で生活している人たちが極端に減っているのが現状であると言える。

 確かに高度成長の実態というのは、農業や漁業、林業といった第一次産業と言われる「仕事」から、都会を中心とした第二次産業、第三次産業と言われる工場や会社での雇用が増大し、田舎から都会や別な地方へと若い世代が移り住むことによって、だんだんと崩壊してきたと言えるのが「三世代」以上の同居といった日本的大家族だといえる。

 昭和30年代半ば、つまり東京オリンピックが開催された1964年ごろから、新幹線や高速道路網の整備や、戦後の日本経済の底力を見せ始めた産業構造の大幅な発展は、大量生産、大量消費の「豊かさ」をうたい、公共事業を中心とした「まちづくり」「インフラ整備」などの建築、土木業も右肩上がりの成長を続けてくる中で、見失ってきたのが「三世代同居」を典型とする日本の家族の姿であったと思われる。

 何故に、この「三世代家族」を取り上げたのかと言うと、昭和から平成の世、すなわち20世紀の後半から21世紀に突入して11年が経った、ニッポン社会が誰もが「何かが狂って来ている」と感じ出している「元凶」とは何だろうかということなのである。

 つまり、「虐待」「DV」「ストーカー」「詐欺」「家族殺人」「窃盗、強盗」と言った各種多様な犯罪が、あまりにも多くなっている現代になってしまった一因が、ここにあるのではないかという推論が成り立つのではないかと思うのである。

 ただ「昔は良かった」と言っているのではなく、世の中の規範、人間的モラル、社会的常識などと称される「価値観」が、世代を超えて「三世代家族」や「大家族」の中にあっては、知らず知らずに見聞きしたり、叱られたり教えられたりと、反面教師と言われる逆の示唆も含めて、日常的生活の中で学ぶことが出来ていたのではないだろうか。

 子供たちが幼稚園、保育所に始まる集団的社会生活で、初めて体験したり学んだりすることもあると思うが、たいていの「物事の善悪」や「普通の対応の仕方」などは、就学前も含めて「家庭の躾」や「父母、祖父母」などからの「教え」で身についている人が大半だったような気がするのである。

 しかし、現代社会にあっては、多くの子供たちが共働きや忙しい父、母の居てもいない時間や状態が多い中で育ち、「預けられたり」「一人でいたり」する時間が多く、たいていは「テレビ」や「ゲーム」や「漫画」の世界で時間をつぶし、中には食事もコンビ二や買い食い、または孤食と言われる「一人」で済ますと言った状態も増えている様である。

 そういった現状が増せば増すほど、「自分勝手」な気持ちが優先し、「他人を思いやったり」、「相手の気持ち」を考えて行動したり言葉をお選んで配慮するなどと言った「感性」を失い、「だって嫌なものはイヤ」とか、「自分の好きな様にしたい」と言った行動や言動を許してしまい、結局「ワガママ」や「すぐキレル」人間を生み出しているのではないだろうか。

 最近、ご年配の方々と話していると、この様な話が多く聞かれるようになっていて、私も戦後の団塊の世代として、「三世代同居」はしていないが、近くに娘夫婦と孫が二人居て、少なくとも一週間に二度や三度は会っているためもあって、同居に近い心境ではあるのだが、親子や祖父母との距離感を大切にした「労わり」や「手助け」が必要だと実感しているのである。

 私の老母は94歳で大阪で健在なのだが、自分が21歳の時に実父は他界している関係で、最近は私の住む京田辺市内で「三人の母と二人の父」と感じている知人たちと交流する機会が増えて、いずれも「私を息子」の様に思っていただいているので、とっても嬉しく感じつつ、出来るだけの「お手伝い」や「話し相手」になって、お役に立てればと思っているのである。
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