ガリバー通信

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首相回転ドア。

2011年06月04日 | 日本の課題
 菅直人首相の就任から、またもやたった一年しか経っていないのに、与野党あげての「内閣不信任案」をめぐる攻防がドタバタとされたあげく、民主党の両院議員総会という場で、菅首相が「震災復興と原発事故の収束への一定のめど」が立ったところで、若手に引き継ぐとスピーチし、「首相退陣」を示唆したということで、一夜にして逆転し、民主党内部からの造反は衆議院議員二名にとどまり、小沢一郎氏と田中真紀子氏を含む民主党会派の14名が不信任決議案の採決をボイコットして退席するという形で、前夜に賛否が拮抗し、ひょっとしたら「不信任案可決」もありうると予測されていたのに、圧倒的な民主党議員の大半の反対票で否決という結末に至った。

 その後、鳩山由紀夫前首相が、菅首相をペテン師呼ばわりしたり、民主党の幹部議員も野党のさまざまの議員たちも、口々に「菅首相の退陣時期」について、勝手な憶測を交えての私見をいたるところでそれぞれ言っているが、肝心の菅首相自身は退陣の時期については明確な表現はしていないのである。

 鳩山氏は六月中に退陣されると約束されたと言うのだが、別の民主党幹部の若手は、第二次補正予算のめどがたつ八月から九月頃には自らの決断で退陣されるだろうとの見方で語っているのだが、当の菅首相は九月の日米首脳会談も含め、当分は責任を果たすために全力を尽くすと側近には言っていて、もうしばらく首相退陣とは行かないようである。

 しかし、「一定のめど」をつけた段階という「あいまいな表現」で、両院議員総会で発言した菅首相の本心は如何だったのだろうか。昔の僚友であった鳩山前首相に説得、示唆されての苦肉の策での「めど」発言だったのかもしれないが、一瞬先は闇と言われる政界にあって、なんだか「一定のめど」発言でしばらく生き伸びたと言った感が強いのである。

 日本国内では、東北、北関東を中心とする東日本大震災の被災地および、福島原子力発電所事故で避難を余儀なくされている多くの福島県を中心とする東北地域の人々にとって、今回ほど「政治家は何をしているのか?」と心底思ったこともあるまいと思うほどの、相変わらずの権力闘争か自分たちだけを良とする自己主張の仕合の果てが、いい加減な「退陣予告」による、一旦収束という「わけの分からぬ」形での「首相の延命策」となり、「あきれた」上に、「全く何を考えているのだ!」との怒りにも似た声や反応しかなかったのではないだろうか。

 また、全世界では日本の東北地方の大震災、大津波の被害と原発の放射能漏れという大事故については、同情と共に多くの支援活動や人と金の援助が続く中、「日本の首相」は、「回転ドアの如く」という、「くるくる変わる日本の首相」は、「回転ドア」と称されていて、「Japan’s revolving-door leadership」、すなわち「回転ドア」と評されているのだそうである。

 巻頭の写真にもあるように、ここ数年は毎年の日替わりメニューのような形で、自民党時代の安倍、福田、麻生、民主党政権になってからの鳩山、菅とほとんど一年後との首相交代を皮肉るのも通り過ぎて「回転ドア」と称して評価というよりもあきれているようである。

 どう考えても、自民党を中心とする政権から、初めて総選挙によっての「政権交代」が民主党を中心とする新政権にようやく変わって、少なくとも衆議院議員の任期としての四年間をじっくりとお手並み拝見といきたいところだったのだが、前鳩山首相は沖縄の米軍基地飛行場である普天間基地の移転問題で、辺野古に新滑走路を建設するという形で何とかお願いしたいという、とんでもない結論を猛烈に批判されて退陣せざるをえなくなったのが昨年六月だったのだが、その一年後再び自分のことはお忘れになったのかもしれないが、菅首相を「うそつき」呼ばわりして批判されているのだが、自らが取られた行動や言動とほとんど同じ様な優柔不断な首相の態度にクレームをつけておられるのだが、「同病相哀れむ」と言った感じで、あの闇将軍、現在も政界のドンの様な振る舞いと言動の「小沢一郎」も見かけ倒しの傾向があり、誰もが「同じ穴の狢」としか見えないのである。

 世界のメディア、特にイギリスやヨーロッパEC諸国にとっては、未だに日本の首相は「麻生」か「安倍」と言った自民党時代の一年代わりの末期の首相像のままであり、先日のフランスで行われた「G8」、先進国首脳会議「サミット」には、たぶん菅首相が出席していたのにも関わらず、似顔絵かイラストに描かれた日本の首相らしき姿が全く「菅」ではなく、「麻生」だったというから、苦笑いというよりもいい加減かどうでもよい存在であるという証拠だったりも露呈したのであった。

 「くるくる変わる日本の首相」を皮肉った「回転ドア」がいつまで続くのかは定かではないが、震災、大津波からの被災地の復興、再生およぴ原発事故の安心な収束のためにも、少なくとも民主党政権の最大任期のあと二年間を暫定的でも「回転ドア」と揶揄されない、権力闘争や与野党の政争の具としない、本当の意味での国民の生活を守るための「政策優先」の内閣を新たに創っていただきたいと思うのは私だけではあるまい。

 さて、回転ドアのしかけを創ったのは誰だかしらないが、少なくとも国会議員の権利と利益だけを優先したような「首のスエカエ」をいい加減な目先の利害で決めるのではなく、菅首相の言う「若い人たち」に受け継いでもらう体制作りを、少なくとも6月から8月にかけてじっくり検討し、9月の日米首脳会談を最後の首相の晴れ舞台として正々堂々と退陣されることを期待したいと思うものである。今すぐにお辞めになっても、何も変わらないし、余計にみっともない回転ドア周期を一年とするだけである。
コメント (3)
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