ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「孫」と「母」の手をひいて。

2009年09月23日 | ファミリーイベント
 昨日、いつものように母のいる大阪へと妻と娘と孫二人を連れて一緒に行った。

 一昨日が敬老の日で、今日が秋分の日だということもあって、ちょっとした「親孝行」のつもりもあって、元気な二歳半の男の子ともうすぐ八歳になるお兄ちゃんを連れての老人ホームへの訪問だった。

 昼下がりの住宅街を母を誘って散歩に出た。

 一ヶ月前に「閉塞性黄疸」のために緊急入院して、処置をしていただいてから約三週間で退院した母だが、実年齢が今年の暮れの誕生日を迎えると、なんと93歳になるという長寿の母の健康のためもあっての「近くの公園への散歩」であった。

 近くの公園までは二百メートルほどの距離だが、辛うじて自分で杖もつかずに歩ける母の手をとって、ゆっくりと一緒に歩くのであった。

 もうずいぶん前から、こうして母の手を軽く握っての散歩を時々しているのだが、よーく考えると幼き頃、逆に母に手を握られて歩いていた頃のことを、もうすっかりと忘れている自分に気づきつつ、なんともちょっとシャイな気持ちになることがある。

 そう言えば、妻の手も、もちろん娘の手も最近握ったり、手を繋ぐことがないことに気づきつつ、何かあっても、ちょっと恥ずかしさとテレもあって、素直に手を差し出すことが出来ない自分に気づくことがあった。

 母のやわらかく年老いた手のぬくもりを感じながら、公園からの帰途は右手に母の手、そして左手は孫の手を握って歩いていた。

 右手につながれた老母の手は、92歳の年齢を感じさせない『苦労の手』、そして左手には、2歳と六ヶ月の元気なやんちゃ坊主の孫の手である。

 なんとも不思議な感触が両手から伝わってきて、ともかく「幸せ」な散歩のひと時となった。

 男性、女性の性別はともかく、それなりの大人になると、恋する時代を除いては、なかなか人と人が手を繋ぐことが少なくなってしまうのだが、やはり「人間の手」は、「手から手へ」と感じる温もりや優しさが直接感じられていいものである。

 決して「孫の手」だけでなく、突然「手を繋ぐ」とビックリされるかも知れないが、たまにはチャンス?があれば、妻や娘や友人たちの出会いの際にもね「手を繋いで」みたいものである。

 男同士や、久しぶりに会った友人たちとは、「握手をする」ことはあるのだが、一緒に歩いたりする時に「手を繋ぐ」ことは全くない。

 野山や自然の中を散策する時などは、自然にお互いを思いやって「手を差し伸べる」チャンスがたくさんあるようにも思うが、日頃の習慣になってしまっているためか、なかなか素直に手を出せない場合が多いものである。

 余談だが、鳩山由紀夫新首相が、初の外交日程としてのアメリカ訪問の旅に出て、政府専用機と思われる飛行機のタラップを降りる時に、幸夫人と手を繋いでおられる光景を見て、ちよっと羨ましくもあり、ちょっとした勇気が必要だとも思った。

 母の手と孫の手だけでなく、妻や娘ともたまには「手を繋ごう」と思った。
コメント
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