ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

流れ作業の焼香。

2005年05月14日 | 感じたこと
 何とも悲しい知らせが届いた。昨年暮れから入院されていた、近くにお住まいだった元気で明るいご婦人の訃報であった。数年前に胃がんが発見され、手術をされて元気を取り戻されて、私も時折お話を立ち話ではあるが、させていただいていた方であった。

 彼女は、40代からか毎日のように、ジョギングをはじめ、たぶんフルマラソンも数回は走っておられたと思う、元気で闊達な女性であり、また書道もなかなかの腕前で、美しい墨字を書かれていたようである。

 私は八百屋で一週に一度、会うたびにマラソンや書道のことや、ふたりおられる娘さんのことなどと、最近はガンとの闘いのさなかにあったので、差し支えのない程度で、ガンの病状や治療についても伺っていた。

 昨年暮れに、再び治療のために入院を余儀なくされてからは、4ヶ月の歳月が過ぎて、ついに昨日薬石功なく他界されたことを聞いて、非常にショックを受けたものである。

 早速、今日の夕刻、隣町のセレモニーホールとでも言うべき会場での通夜式に参列するため、友人のご婦人と共に、開式時間は既に過ぎていたが、車で急いで向かったのである。

 会場に着くと、会場入り口付近に喪服を着た多くの顔見知りのご近所の方々や、お子さん達の卒園された幼稚園のその当時の保護者、特におかぁさん方の懐かしい顔、顔、顔があった。

 遅れて私達は会場に着いたので、既に読経の音の中で、焼香が始まっており、会場の係員としての葬儀屋さんの社員と思われる人たちの誘導で、会場の勧められたイスに、まずは座ったのである。

 しかし正面の仏式の祭壇とは直角になる場所であり、読経は聞こえても祭壇全体や、故人を偲ぶ遺影も見にくい位置で、暫く待たされた後、再び係員の誘導で三列に並ばされて、順序よくご焼香の台の前へと進む段取りとなっていて、数分後には「ご焼香」を済ませることができて、ご遺族のご主人様とお二人のお嬢様には黙祷と頭を下げてのご挨拶が辛うじては出来たと思う。

 しかし、何とも味気ない感じがして、どうもベルトコンベアーに乗せられて、お通夜式の会場の段取りのために、指示されたとおりに進み、故人のご冥福を祈りながら、旧友や知人達のゆっくり故人について語る場所もなく、焼香を済ませた者は、そそくさと会場を後にしたのである。

 どうも最近の、このセレモニーホールと呼ばれる葬儀会場での、通夜式や、告別式が増加して、効率的にてきぱきと式は進むが、他人である葬儀屋のビジネスとしての業務としての式典が、流れ作業の如く、繰り返されているのだと思うと、故人との生前の深い関係や思い出の中で、お悔やみや思い出を胸に参列したものにとっては、やはり割り切れない「何か心にしっくりと来ない」ところがあると言えよう。

 何事も、最近は合理的に、効率的に時間も短時間で済ませるというパターンが好まれるのかも知れないが、事お葬式や弔いの儀式においては、こうした傾向が強まり、まるで「葬儀屋ペース」に弔問客もご遺族や関係者も、都合よく動かされているのではと思ってしまい、このままではいけないのではと感じているのである。

 もう一度、人間の生と死を、じっくりと考えて、その人、それぞれの生き様に似合った、言い換えれば大切な人生最後のセレモニーを、出来うれば商売重視の葬儀やペースではない、遺族、友人、地域が協力して、故人を丁寧に、ささやかでも気持ちを深く想いを集中して送れる、弔いの式典を、手作りで出来ることはする、やり方を取り戻す必要があるのではないだろうかと、痛切に感じたのである。
コメント (1)
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