ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

馬頭琴の響き。

2005年05月01日 | 感じたこと
 5月の新緑の季節を迎えた。今日は内蒙古自治区からやってきている包海峰、海霞兄妹と一緒に地元を中心に活動している、若者のシンフォニックバンドの定期演奏会に出かけた。

 兄妹は音楽が好きだが中国国籍のモンゴル人のため、連絡用に各自が持っている携帯電話の着メロも何故か中国の曲である。しかし彼らは日本の若者達の真剣な演奏に聞き入ってくれて、愉しそうに日本でのコンサートの初体験をした様子だった。

 妹の海霞さんは内蒙古出身だが中国の大連で6年間、音楽と踊りを学びながら、歌舞団の一員として舞台に立って歌ったり踊ったりしていたので、日本に来てからも同志社大学の京田辺キャンパスでの学生支援課の主催した新入生歓迎のイベントの時にも、馬頭琴を奏でたり踊ってくれた。

 コンサートが済んで、再び彼らの京都での住まいに、私と家人が共に招かれて、長兄の海岩君が料理してくれた美味しい羊肉をモンゴル流に手で食べたあと、彼女が馬頭琴の演奏と民族的な踊りを演じてくれた。

 ご存知の「スーホーの白い馬」で有名な馬頭琴は、馬の尻尾の毛から作ったと言う2本の弦を、やはり馬の毛で作った弓で弾く民族楽器なのだが、最近の楽器の弦や弓にはナイロンが使われており、結構大きな音が出るのである。

 彼女が奏でてくれた数曲を聴いていると、何とも物悲しい調べに聞こえる曲が多くて、モンゴル人の騎馬民族としての長い歴史の悲哀なのか、馬を宝とし大切にする民族ではあるが、愛馬の悲しい叫びや孤独感の様にも聞こえてくるから不思議である。

 特に草原をテーマにした叙情的な曲や、日本の曲で「荒城の月」や「北国の春」などを演奏されると、どうも郷愁が募り、はらはらと涙がこみ上げて来るような情感がいっぱいになってしまいそうになる。

 どうも馬頭琴の音色の根本がマイナーコードの曲想に合っていて、選曲される曲の多くが物悲しい民族と馬の物語の様にも聞こえるから困ったものである。

 唯一「草原を駆ける馬」をテーマにした勢いのあるリズミックな曲だけは、大草原に馬を走らせている壮大な気分にさせてくれるので、私の場合は数曲の馬頭琴の演奏が続くと必ず大草原を駆ける馬をリクエストしてしまうのである。

 今日も彼らの自宅である公団アパートの一室の窓を閉めて、近所に音があまり漏れないように配慮しながら、物悲しい馬頭琴の調べをじっくりと聞かせてもらった。

 その後、彼女がもっとも得意とする踊りを一曲踊ってくれたのである。狭い部屋の畳の上で、彼女はニコヤカナ笑顔を絶やさず、モンゴル族の女性の気品と伝統を大切にしながら、現代女性としての溌剌とした美しさもそなえもって、きびきびとした体と指先まで細かな表情の踊りの極意を、随所にちりばめた素敵な踊りを、我々2人の客人のためだけに、魅せてくれたのである。

 「タラハジナー」と感謝の言葉をモンゴル語で伝えて、「バイヤステ」とさよならを言って、彼らの見送りの中、降り出した雨の中を別れて帰ってきたのである。

 彼らの純朴な私達に対する歓迎ぶりに、心からの感謝と温かい友情を感じながら。

 彼ら兄妹の日本での日本語学習と、その後の各々の勉学の成就と健康を祈りながら、遠く中国内蒙古の地から多くのエールを贈っておられる、包君たちのご両親の想いを重ねつつ、今後の活躍を祈るものである。

 馬頭琴の調べに物悲しさや寂しさだけでなく、内から秀でる力強さをも感じた半日であった。
コメント (1)
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