近所に花を買いに行くと、お店の中がすっきりとしていました。
貼り紙で、今日が最後の日ということがわかりました。
母がよく花を買いに行ったお店です。
店じまい日に仏壇の花を買いに寄ったのも、何かの引き合わせでしょうか。
二週間後が母の命日です。
また一つ思い出の場所がなくなります。
淋しいですね。
先日まだ初歩の方に、柄杓の扱いを教えていた時のこと。
引き柄杓やり方を見せていたら、
「先生動画で撮らせていただいてもいいですか」と真剣に言われてしまいました。
わたしの引き柄杓がそんなに美しかった・・なら嬉しいけれど、
動画に撮られるなんてとんでもない。
そこは「不立文字」です。
「何度でも教えますから、たくさん練習して体ておぼえてね。」と。
「不立文字」とは「不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏」から、
禅の教えの言葉で、意味は
「経典の言葉から離れて、ひたすら坐禅することによって釈尊の悟りを直接体験する」
ということで、禅の根本を示すものと。
つまり文字に書いたりして覚えるより、体で覚えなさいということです。
ですから、稽古場でのメモもしてはいけないと教えられるのですね。
動画に撮るというのは、
今の時代当たり前の思いつきなので、無理もないですが。
もし私に動画に撮られても大丈夫という自信があったら、
喜んで撮っていただいたかもしれませんけれど。
とにかく己の姿を形にして残すということは、
後々恥ずかしい思いをすることが多いものです。
以前お茶会の様子を記録映像に撮られた時、
そのビデオを見ながら、自分の点前の姿がこれなのかと、
ガマの油のガマのごとく冷や汗たらたらだったことを思い出しました。
ガマの油などという話をしても、
それこそ今の若い人には通じないかもしれませんね。