「松風庵日記」 心はいつもお茶日和  

後半の人生の楽しみ方見つけましょう!

習い事の上達には

2010年11月27日 | お茶三昧

 利休道歌
  
 「上手には好きと器用と功積むと この三つそろう人ぞ能くしる」


何事も好きであるということが、一番の師匠なのですね。
そして多少器用であることも必要のようです。
でも何よりも、たくさん練習して、根気強くがんばることが大切と・・


・人に見せること
・ハードルを少し高くすること

習い事での進歩・成長のチャンス・秘訣かなと思います。

そしてそのチャンスを準備するのが、師匠の仕事の一つかなとも・・。

お茶会やお茶事は、大変な労力を要します。
でも・・
楽しければいい・・
お金もかかるから・・と
怠けていると、
時には本当の楽しみを得るチャンスも逃していることになると・・。

立派な環境も、たくさんの道具も持たない私が、
お茶席を持つのは一苦労ですが、
こうやって自分を奮い立たせて頑張っています。

 

にほんブログ村 その他趣味ブログ 茶の湯・茶道へ


茶花

2010年11月26日 | お茶三昧

 利休道歌

  余所などへ花をおくらば其の花は開きすぎしはやらぬものなり
    

梅が咲き・・桃や菜の花・・そして桜
これからは花を追いかけ、花を楽しむ季節ですね・・・・・

茶席の花は咲き始めの風情を一番として楽しみます。
いつも思うのですが、お客様に一番良い瞬間を見ていただくのは、
とても難しいということです。

茶室に入って床の前に進み、初めて目にする花は何よりも楽しみで心に残るもの。
「いいですね・・・」というお客様の心の声が聞こえてくるような
そんな花を床におくことができたらと思いますね。

花入れに活けた時の花の姿は時が移るとともに変化して、
開き始めを活けたつもりでも一時過ぎれば、見事に満開ということも。
満開ならまだ良いのですが、可憐な野草などは午後にはしぼんでしまいます。
一輪の風情ですから、
ことさら気をつけてて見守っていなくてはなりません・・。

ある茶席でご亭主が、
朝活けた椿のつぼみが、少しほころんできた姿を見て、
「開いてしまいましたね・・・とり変えましょう」
とおっしゃったのをうかがい・・もてなしの極意に触れた思いがしましたが・・。

お茶席の花のためには、
亭主は庭の花 の開き具合を常に気にして、
「今日はこのつぼみで、明日はこのあたりが丁度良いかしら」
と心積もりをしたりして大切にとっておきます。
お客様をお招きするときに合わせて、
冷蔵庫に入れておいたという話も嘘ではないようです。

時には鉢植えでやっと咲いた一輪を、
「この花はあなたのために咲いたはなですよ」と挿すこともあります。
そんな時はお客様も嬉しいでしょうし、
私も良くぞ咲いてくれましたと感謝したい気持ちになります

 

にほんブログ村 その他趣味ブログ 茶の湯・茶道へ


和菓子の美味しい食べ方は

2010年11月24日 | お茶三昧

お茶を始めてから、
「和菓子を食べる楽しさがましました」とか、
「甘いものが苦手だったのに、いつの間にかへいきでいくつも食べられるようにったのよ」
という声を時々聞きます。
お抹茶を頂くときは、その前に必ずお菓子が出ます。
その甘さが口の中に残り、後から頂く一服が一層おいしく感じられます。

お茶で頂く和菓子ですが、食べ方にも正しい食べ方があります。
「お菓子なんてどんなふうにたべてもいいでしように・・」といわれそうですね。
わかります・・。そのお菓子を自分のものにするために、
面倒な(いや正し)作法をして、懐紙の上にちょこんと乗ったお菓子ですもの、
これ以上どうしろというのでしょう。
いえいえ、それは美味しく頂くための食べ方ですよ。

お茶ではお菓子を頂くときは、みな大きな口て゜パクパクと食べます。
それが一番おいしいといわれます。だいたい三口しないが正統派です。
見ていても実に小気味よいと思います。
小さく刻んで、おちょぼ口で食べるのは、上品そうに見えてかえって、
「あの人本当に美味しいのかしら・・」なんて心配してしまいます。
お菓子を作った人に言わせると、小さく切るたびに味が落ちるそうですから。

老舗の一つ四百円もするお菓子を三口なんて・・あっというまですがね・・
でも本当においしのです・

 

にほんブログ村 その他趣味ブログ 茶の湯・茶道へ


利休道歌の教えにありですが

2010年11月23日 | お茶三昧

                 
利休道歌の一首にあります。

   
   ・茶はさびて心はあつくもてなせよ 道具はいつも有合せにせよ        


 利休の教えを受けて、誰でも『道具は有り合わせでよい』と心得ています。

 でもいざとなると
 「たいした道具もありませんし、とてもお茶席など持てません」
 とならざるを得ないのが現実です。
 何だかんだいっても、一つや二つはご馳走になる道具を揃えねばと思ってしまうのです。
 個人的にお友達と楽しむのならそれほど気張った道具も必要ありませんし、
 見立て使いも大いに楽しいのですが、ある程度の場所でのお茶席となると、
 道具もある程度のものと考えてしまうのでしょう。
 有合せのものでというのは、とても勇気のいることです。
 自分に茶人としての魅力や力があれば、
 そんなことは問題ではないのでしょうが。
 まだまだ自分の未熟さを道具でカバーしてもらあうが如くです。
 
 考えてみれば、日常のもてなしでも、
 豪華なもののオンパレードでもてなされるのも、
 目の保養を通り越して消化不良になりそうなこともあります。
 一つ素晴らしいものがあって、それをご馳走に話に花を咲かせるくらいが、
 丁度良いのではと思いませんか。
 

 お茶席でもそうなのでしょう。
 亭主の描いたテーマがあり、
 それを主客がそれぞれ心に置いて一座建立となれば素敵だと思います。
 
 もちろん立派な道具に取り囲まれたお茶席も、
 なかなか身近には見られない道具を拝見できる楽しさを与えてくれて、
 手の出ないものは目の保養第一主義の私にはっても、
 有難いし、うれしいものですが。

 そう、さすがは利休さんはお見通しです。
 せっかく持っている良いものを見せたいという心理と、 
 侘びを旨とする茶人のたしなみの両面をしっかりと歌に残しています。
 あるものを遠慮して無理に隠すのももったいない事です。

  ・数多くある道具を押しかくし 無きがまねする人もおろかな

 

にほんブログ村 その他趣味ブログ 茶の湯・茶道へ


表現一つで、変わる所作

2010年11月22日 | お茶三昧
        
利休百首から  
  
   口広き茶入れのお茶おば汲むといい 狭き口おばすくふとぞ言ふ
    
 物事を表現する時によく『何となくこの言葉では違うかな・・もっと他の言い方はないものかしら』と悩むことがあります。語彙の乏しさの故でしょうが、なかなかぴったりとした表現が見つからない時が。そしてあげくの果てに仕方なく、何通りもの言い方で説明したり、似たようないくつもの単語を並べたりして、何とかその周りを固めたりするのですが。
 でもそれは周りであっても中心でないもどかしさが残ったりします。表現とはある程度自己満足でしかないと思います。どのように表現しても、受け取る側がその人なりの感性で受け取るのですから、自分の思うところが伝わったかどうかは定かではないのです。表現するというのはそういうことで、上手く伝わったかどうかという不安は、話すときにせよ、文章で表すにせよいつもつきまとうものです。      
 
 回り道をしましたが、適切な表現を語るとき、利休道歌ではこの歌が思い出されます。一つの所作を「汲む」と「すくう」の二通りの言い方で言い表しているこの歌は、同じような動作でも心の在り方で違ってくるという事を言っているように思います。
 茶入れというのは、お抹茶をいれておく器で形は様々です。お点前では茶杓でその器からお茶を取り出しては、茶碗に入れてお茶を点てます。この歌は茶杓で茶を取り出すその動作を、口の広い器からは大きな気持ちで「汲む」様に、狭い口の器からは細心の注意を払って「すくう」様にしなさいと教えているのではないでしょうか。
 そのような心構えでするお点前は、形にもきっとその心が表れるのでしょう。
「何々のような気持ちで」ということはお茶の稽古ではよく言われます。その表現一つで心の在り方がが変わり、その事でお点前の姿が変わってくるのですから、どのような言葉で表現するかはとても大切になってきます。
「汲む」と「すくう」はそれを見事に言っています。これは同じ動きを違う言葉で表現することで、違う動きを生み出しているという事でしょう。

 『立ち居振る舞い』を美しくと言う言い方と『動作を美しく』ではそれこそ立ち居振る舞いが違ってきます。『飲む』を『いただく』に言い換えるだけでも心の在りようは違うのでは。
 何だかかける言葉の響き一つで、相手の動きや心すら操れるようにも思えてきます。
そして時には自分自身に暗示をかけることが出来るのも、表現一つかもしれませんね。

つくり帯は今一つしっくりきません

2010年11月18日 | 和服生活
私は帯は手結びです。
若いころに何カ月か着付けを教えていただきました。
宮中の方々がたしなむ流儀ですと言われましたが。
いわゆる着付け教室ではなく、
個人で教えてくださるところで、
とても丁寧に、着物の知識も学ばせて頂きました。

一通りの結び方をおしえていただきましたが、
今覚えているのは、名古屋帯と、袋帯の結び方だけです。
自分が使わないものは忘れてしまうものですね。
でもそれだけ知っていれはお弟子さんにも教えてあげられるし、
必要な時には着せてあげることもできますから困りませんが。

少し先輩の方々から、
最近帯をつくり帯にしたという話を聴きます。
もう帯結びができなくなったというのです。
つまり後ろに手が回らなくなったということで。
私はまだ大丈夫ですが、
将来的にはその必要性が出てくるかもしれません。
和服生活は続くでしょうから、
簡単に帯がつけられれば、助かります。

最近「使わないから」と作り帯を一つ頂きました。
せっかく頂いたのですから、ためしにとお稽古で使ってみました。
簡単につけられると思ったら、これが要領を覚えるまで結構難しいのです。
つけることはできるのですが、しまり具合とか、帯の高さとか、
自分が気に入るようにつけられないのです。
結ぶのではなく紐で縛るような感じなので、
強く紐を締めれば苦しいし、緩めればずりおちてくるし・・。
帯を結んで、きゅっと締まり、動いているうちに体になじむ、
そんな気持ちよさが味わえないのです。
慣れてしまえば帯も五分とかからず締められます。
後ろに手の回るうちは、まだちゃんと締めた方がいいという結論に達しました。

作り帯もいろいろあるでしょうから一概に言えませんが。


結構ミーハーなんだ

2010年11月15日 | 日記

今日はお茶の勉強会。
講師の先生のお話は興味深いもので、
とても分かりやすかった。
いつもの睡魔にも襲われることなく
しっかりと勉強できた!

終了後、係の方から、
「先生のご本をお買い上げいただいた方には
サインをしていただけます」といわれ
熱心なお話にちょっとファンになってしまった私は
さっそく購入して並んだのである。

結構、私はミーハーなのだと思った。

和服生活は楽じゃない

2010年11月14日 | 和服生活
お茶をやっているということもあって
和服を着る機会が多い。
というより私の場合は着ない日の方が少ない。
週の半分以上は和服で生活している。

洋服中心の若いころは
結構流行を追って服を買っていた。
今は新しい服は年に一二着
ほとんと今ある服で間に合わせている。

その代わり和服の消耗が激しい。
洋服に比べて普段着でもかなり値が張る。
クリーニングだって洋服の比ではなくかかる。
年に一二枚でも新調したら大変。
洋服なら十着以上買えそう。
だから二度に一度はあるものを縫い直している。
気に入ったものや良いものは、
洗い張りをしてまたきられるのが和服の利点だが、
しかしこれも結構な値段。
和裁ができたらとおもうが、
視力の衰えた今からではもう遅いし。
現代は和服は特別なものだから、
何をするにも安くはないのだ。

あこがれの和服生活、お茶生活を
実現したのはいいけれど
あの手この手のやりくりで、
維持できるのはいつまでか。

言えないこと

2010年11月13日 | 日記

喜びの気持ちは
言葉でいくらでも飾ることができる
感じた以上に大げさにだって
ちょっとうそっぽくても
まわりを傷つけることはないし

悲しさや怒りは
なぜか「さびしい」としか表現できない
それを正しく表現すると
かえって人を
傷つけるような気がして

そして自分の本当の「さびしさ」は
胸のうちに
貯めておくしかできない


秋の日の物想い

2010年11月12日 | 日記

秋も深まると漂う物悲しさのせいか
なんだか自分も詩人になったような気になって
素敵な歌が歌えそう

ロマンチィックな詩なんて
おとめの専売特許のようだけど
いくつになっても人の心はロマンティック

若い頃に憧れたドイツの詩人を思い出し
懐かしく思い出すその一言・・

そこから感じるものは若いころよりも多いはず
いろいろと経験してきたからね

だから人は年を重ねるほど
本当のロマンティストになるのだと思う


なつかしや木守柿

2010年11月10日 | 日記

    


都会の郊外の秋は

我家の周りも木々が色づき

やっと楽しめる秋の風情

上階の窓から見下ろすと

柿の実がたわわに生っている庭が目に飛び込む

カラスや小鳥がついばむやいなや

木守柿を残してもぎ取るのやら

最近はそんな季節の言葉も懐かしい


他人の庭ながら気になるもの


これからが本番なのだ