「松風庵日記」 心はいつもお茶日和  

後半の人生の楽しみ方見つけましょう!

利休道歌の教えにありですが

2010年11月23日 | お茶三昧

                 
利休道歌の一首にあります。

   
   ・茶はさびて心はあつくもてなせよ 道具はいつも有合せにせよ        


 利休の教えを受けて、誰でも『道具は有り合わせでよい』と心得ています。

 でもいざとなると
 「たいした道具もありませんし、とてもお茶席など持てません」
 とならざるを得ないのが現実です。
 何だかんだいっても、一つや二つはご馳走になる道具を揃えねばと思ってしまうのです。
 個人的にお友達と楽しむのならそれほど気張った道具も必要ありませんし、
 見立て使いも大いに楽しいのですが、ある程度の場所でのお茶席となると、
 道具もある程度のものと考えてしまうのでしょう。
 有合せのものでというのは、とても勇気のいることです。
 自分に茶人としての魅力や力があれば、
 そんなことは問題ではないのでしょうが。
 まだまだ自分の未熟さを道具でカバーしてもらあうが如くです。
 
 考えてみれば、日常のもてなしでも、
 豪華なもののオンパレードでもてなされるのも、
 目の保養を通り越して消化不良になりそうなこともあります。
 一つ素晴らしいものがあって、それをご馳走に話に花を咲かせるくらいが、
 丁度良いのではと思いませんか。
 

 お茶席でもそうなのでしょう。
 亭主の描いたテーマがあり、
 それを主客がそれぞれ心に置いて一座建立となれば素敵だと思います。
 
 もちろん立派な道具に取り囲まれたお茶席も、
 なかなか身近には見られない道具を拝見できる楽しさを与えてくれて、
 手の出ないものは目の保養第一主義の私にはっても、
 有難いし、うれしいものですが。

 そう、さすがは利休さんはお見通しです。
 せっかく持っている良いものを見せたいという心理と、 
 侘びを旨とする茶人のたしなみの両面をしっかりと歌に残しています。
 あるものを遠慮して無理に隠すのももったいない事です。

  ・数多くある道具を押しかくし 無きがまねする人もおろかな

 

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