かつて天下一品ほどのインパクトのあるラーメンを、ボクは知らなかった。
あのスープというか汁というか、ドロドロのコロイド状の、のどごしをいうならば、
これ以上のどにひっかかるラーメンスープはなかった。
かつて京都宝ヶ池のホンキートンクという店で演奏した帰り、必ず北白川の本店に寄り、
かならず「並5人前、佐竹で」と、メンバーの名前で申し込んだ。
深夜だというのに、次から次とひっきりなしに客がやってくる。
鍋の湯気と人いきれの中、ホールで接客していた木村社長の顔を憶えている。
さよう、ベッキーとにこやかにCMに出てるあのオヤジさんである。
ラーメンが届くと同時に、伝票が卓上にベチャッと置かれる。
まさにベチャッ・・・、今どきのようにスープはこんなにお行儀よく収まっていなかった。
丼なみなみに注がれ、ほとんど丼の外側もべちゃべちゃ。手がベタベタになるので、
触らぬ丼にタタリなし。この辺から、今どきの犬食いが始まったか…?知らんけど。
我々は、「丼とスープの一体化」などと呼びながら、柔らかめのストレート麺を啜るのだった。
鶏から揚げなんかできたのもあとの話で、餃子も記憶にない。
ほとんど中華そばの並と大盛り、チャーシュー大盛り、あとは茹で卵ぐらいあったかもしれない。
卓上のにんにく味噌や、ラーメンたれやコショーでパンチを加えたりして、
ひたすら食い、とっとと大阪へと引き上げるのだった。
宝ヶ池まで行ったら、ここへ寄らないとなんだかたよりない気がしたものだ。
ここを教えてくれたのは、京都のブルーグラッサー大西くんにょさん。
何処かで元気にされているのだろう。会いたいな。
とんこつのように見えるかもしれないが、これ鶏ガラが主体である。
高温でグラグラ炊き過ぎて、スープの乳化が進み、
コクのある濃いスープができたと推察する。
この濃さが、盆地で冬厳しい京都の学生たちに受けた。
コンビニも自販機もない時代、深夜の外食なんてままならず、
ひもじい下宿生活をする学生たちに屋台のラーメンはごっつぉだった。
一乗寺、銀閣寺界隈、濃い味だからめしのおかずにもなった。
京都の味は薄味と思う人もいるが、そんなこたぁない。
濃いのである。平安京以来、当然田舎から出て来た人はいるし、
身体を攻めて働く人たちもいた。濃い分かりやすい味をよしとした庶民は多かった。
人気店になった屋台時代の天一には、しつこく因縁つけに輩がいて、
さんざん痛い目にあったと、社長ご本人から伺ったことがある。
日ごろは意識していないが、ひょいと話などに出ると無性に食べたくなる。
今だって、もういけない・・・。
でもその辺の天一ではなく、本店の、できればギトギト丼の並を食ってみたい。
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