マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

佐竹で中華そば並5つ

2012-03-06 22:00:20 | Weblog

かつて天下一品ほどのインパクトのあるラーメンを、ボクは知らなかった。
あのスープというか汁というか、ドロドロのコロイド状の、のどごしをいうならば、
これ以上のどにひっかかるラーメンスープはなかった。

かつて京都宝ヶ池のホンキートンクという店で演奏した帰り、必ず北白川の本店に寄り、
かならず「並5人前、佐竹で」と、メンバーの名前で申し込んだ。

深夜だというのに、次から次とひっきりなしに客がやってくる。
鍋の湯気と人いきれの中、ホールで接客していた木村社長の顔を憶えている。
さよう、ベッキーとにこやかにCMに出てるあのオヤジさんである。

ラーメンが届くと同時に、伝票が卓上にベチャッと置かれる。
まさにベチャッ・・・、今どきのようにスープはこんなにお行儀よく収まっていなかった。
丼なみなみに注がれ、ほとんど丼の外側もべちゃべちゃ。手がベタベタになるので、
触らぬ丼にタタリなし。この辺から、今どきの犬食いが始まったか…?知らんけど。
我々は、「丼とスープの一体化」などと呼びながら、柔らかめのストレート麺を啜るのだった。







鶏から揚げなんかできたのもあとの話で、餃子も記憶にない。
ほとんど中華そばの並と大盛り、チャーシュー大盛り、あとは茹で卵ぐらいあったかもしれない。

卓上のにんにく味噌や、ラーメンたれやコショーでパンチを加えたりして、
ひたすら食い、とっとと大阪へと引き上げるのだった。

宝ヶ池まで行ったら、ここへ寄らないとなんだかたよりない気がしたものだ。
ここを教えてくれたのは、京都のブルーグラッサー大西くんにょさん。

何処かで元気にされているのだろう。会いたいな。








とんこつのように見えるかもしれないが、これ鶏ガラが主体である。
高温でグラグラ炊き過ぎて、スープの乳化が進み、
コクのある濃いスープができたと推察する。

この濃さが、盆地で冬厳しい京都の学生たちに受けた。
コンビニも自販機もない時代、深夜の外食なんてままならず、
ひもじい下宿生活をする学生たちに屋台のラーメンはごっつぉだった。
一乗寺、銀閣寺界隈、濃い味だからめしのおかずにもなった。

京都の味は薄味と思う人もいるが、そんなこたぁない。
濃いのである。平安京以来、当然田舎から出て来た人はいるし、
身体を攻めて働く人たちもいた。濃い分かりやすい味をよしとした庶民は多かった。

人気店になった屋台時代の天一には、しつこく因縁つけに輩がいて、
さんざん痛い目にあったと、社長ご本人から伺ったことがある。

日ごろは意識していないが、ひょいと話などに出ると無性に食べたくなる。
今だって、もういけない・・・。
でもその辺の天一ではなく、本店の、できればギトギト丼の並を食ってみたい。


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