たこ焼きなんつうものは、鉄板にうどん粉流してタコ放り込んだら仕舞い・・・
なんて思っていないだろうか。
その傾向が強い地方都市や東京などへ行くと、粉くさくて歯触りも喉ごしも悪く、
モタモタと重たく、いくつも食えるもんではありません。
やっぱり生地なんです。
いかに生地そのものにいい塩梅の味をつけるかが勝負。
決してタコが主役ではないのです。
だから昨今の、箸で食うような大玉のたこ焼きなんて、食いたいと思いません。
球体そのままを口に放り込むもの。よって昔からの大きさが丁度いい。
食いちぎったりしてる姿が美しいわけはないのです。
タコの大きさも、ほどほどが一番。
でかいタコをいつまでもクチャクチャやってるのは見当ちがい。
タコを食いたけりゃ、造りでも酢の物でもたのめばいいわけで。
香ばしく焼けた薄皮に歯を立てれば、中は流れ出さないまでもトロトロの半熟状。
昆布かつおを奢っただし、塩茹でしただけのタコ、
紅ショウガのピリッとネギの香りも渾然一体となり、
香りは鼻へと抜け、喉の奥へとスルリと消えて行く。
義父に「タコ焼きが食べたい」と言われ、今まで大変だからスルーしてきた
我が家のタコ焼き問題と、しばし向き合うことにします。
名作たこ焼きは数あれど、ここの載せるのは、元祖「会津屋」のたこ焼き。
醤油を落としただしタイプ。このままでしっかりと味が付いている。
ビールにたまらなく合う。 少し冷ましたぐらいが味がよくわかる。
昭和8年に今里新地でラジオ焼きの屋台から始めた「会津屋」。
明石の方ではタコが入るらしいで…と客に聞いて初めて、たこ焼きを生んだ店とされる。
これが近年会津屋が復活させた、ラジオ焼き。
スジとコンニャクを甘辛く炊いたのと、ネギが入る。
なぜラジオ焼きと言ったかというと、当時の最先端のモダンな名称だったから。
鉄板の穴ぼこが、丁度ラジオのマイクロフォンのようだったから。
こんなのね。
うちではネギ、天カス、紅しょうがを入れてみたが、できるだけシンプルが一番。
妙なものはできる限り入れない、生地を味わう。
そこへソースを少し塗るぐらいで十分。
ラジオ焼きはスジの炊いたんが入るので、焦げ付きやすい。
スジとコンニャクを炊いたのを細かく刻んだが、もう少し大きくてもいいだろう。
似て非なるもの。決してタコとスジを同居させたりしないこと。
味を殺し合ってしまう。
たこ焼きは引き算。具材にかける予算があるなら、
昆布とかつおにお金をかけた方がいい。
昆布を煮立たせない吸い物の一番だしみたいなことはない、
グラグラ煮返していいから、下品なほど濃い目のだしを使うことを勧めたい。
まだまだ研究は始まったばかりだ。
「板前がロクな出汁が引けなくなったから、天ぷらを塩で食わせるようになった。」と。
濃い出汁を引くのは基本でございますね。
御霊神社の梅月や天寅(一宝)、与太呂などが細かく粉砕した塩で食べさせるようになった。塩味だと素材の味を生かすことができ、衣も薄く、油も白締油などにして、飯より酒に合うというので船場の旦那衆に受け、金も稼げたんです。これが東京に震災後伝わり、胡麻油でキツネ色に揚げ、濃いつゆで食べさせる東京天ぷらを駆逐したんでさね。なんでも関西風になりやがってと嘆いた、その一つ。例えばおでんなんかもそうですわね。アタシは東京風が好みなんですがね。