先ごろリリースした拙作のレコードの二度づけとは、文字通り串カツの二度づけをモチーフにしたラブソング。ウェスタン・ジャンプブルースとでもいうべきもの。
レコード作りに協力してもらったのもあって、バンド仲間と「だるま」法善寺店へ。来月、法善寺西門前にだるま難波本店が完成する予定。
新世界で3軒。法善寺、道頓堀極楽商店街、姫路、浜松支店と破竹の勢いのだるまの串カツは、相変わらず快調。
アツアツをソースにジュッ!カリッとして、中身はフニャッ。うま!
左の5本はこれが基本の牛串カツ、上2本はじゃが芋、右はレンコン。
五味八珍、知留久、串の坊系統とはちがう、新世界串カツの元祖といっていいだろう、昭和4年創業のだるま。
ソースは共用だからよって二度づけ禁止。
江戸時代の立ち食い鮨は同様に醤油だった。飯粒を醤油に浮かせるようなヤツは最低。汚れた指を帰りに暖簾で拭いて帰ったので、暖簾の汚い店は繁盛店と目された。
左はプチトマト、火傷するようなのが旨い。上は豚肉。下は赤いウインナー。具材の組み合わせでなく、単品主義がだるまの決まり。
…と、思ったら、左の2本は鳥つくねと突込みがあった。お詫びして訂正いたしますっと。
串かつの上がりに文句はないが、やっぱり本店で一品ずつ頼めるのが性に合う。「オヤジの頃と味変わった!」と本店の客だけは言うらしい。
客は揚げ手が変わったら、すぐにそんなことを言うもんだが、あの飄々とした百野さん夫婦の醸すアトモスフィアが懐かしい。
主人の味わい、そこも含めてのだるまの串カツの味だったわけで、夫婦の境地までたどり着くのはたぶん不可能だろうから、現だるまの味を作り上げるしかない。
昭和の初め、二カツ、三カツといって、1本2銭、3銭だったという。
カツレツの流行った東京に対し、なぜ大阪では串かつが流行ったのか、そんな大衆史はだぁれも知らない、歴史にも残らない。
そんなことを少しでも知って食べるとまた味わいは変わるのだ。
外へ出たら、もう行列がズラッとできていた。
帰ったら体重確実に増加。しばらく油、遠ざけるべきか?
だるま法善寺店 中央区難波法善寺横丁一本南
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