お好み焼きのルーツ話になる時、室町時代の千利休が出てきて、
茶室のもてなしに用いたという、
こんな麩の焼きが出て来たりする・・・
(三丁目の富士実物語の藤井さん、画像お借りしました)
甘い味噌や餡を巻き込む、江戸時代の助惣焼きなるものが
登場したりするが、常にどうも割り切れない気持ちで来た。
権威が欲しいのは分かるがなんで利休やねん、茶の湯やねん。
お好み焼き、そんなたいそうなもんではないでしょう。
茶の湯の菓子を引っ張り出すよりも、韓国のチヂミやパジョンに近いのではないか。
もうすでに「本来はうちのモノで、日本のは韓国の真似」という話になっているかもしれぬが。
どだい下町の子せがれの腹ふさぎ、虫養いでしかない。具なんてほとんど入らなかった。
メリケン粉というがごとく、小麦粉を溶いて焼くだけで、かなりモダンな食べ物だった。
そこにウスターソースを塗ったら、勘違いといえど舶来の香りがした。
大正時代のどんどん焼き~洋食焼きは大方こういう成り立ちだった。
子供のためのものをいつしか大人が奪って、酒の肴にしたり、
ちょっとアレンジしてお好み焼きとなった。
だから腹減らしたガキの多い地域の方が、お好み焼きの競争倍率は高くなり、
うまいお好み焼きと巡り合えるチャンスは高級住宅地などよりよほど多いといえよう。
さて、ここは堺市東湊かいわい。堺市からひと駅だが、各停しか止まらぬ長閑な駅周辺。
忘れられたような年寄り所帯が多い印象。
ここに下駄ばきで行けるような地元密着なお好み焼き店が点在する。
その中の一軒、「あじ助」。
小さな店だがひっきりなしにお客がやってくる。
豚玉、甘めのソースにちょっと高級なアオサ海苔、一味をかけるとちょっと味が締まる。
焼きそばは太麺が歯触り、食感ともにいい。
ソースを補強して自分流にして、わしわしと頬張る。
なんでもない店構えで、このレベルに目をパチクリ。
やはり食べ手のレベルが高いのだと推察する。
だしで溶く生地こそが決め手なのはいわずもがな。
焼きそばとお好み焼きは使うキャベツのパーツもちがう。
一挙に味を合わせる焼きそばの技術、じっくり返して焼きあげるお好み焼きの技術。
家庭のクッキングプレートなどでは追いつかない、使い込んだ鉄板と熱源を使い分ける
料理人の腕によるものが大なのである。
この一帯、ノーマークだがまだまだ探査すべきエリアである。
私的に知らないだけだが、手つかずの宝物のような店がまだありそうな気がする。
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