勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

12月8日は成道会

2013-12-07 20:38:26 | Weblog
12月8日は成道会。お釈迦さまが悟りをお開きになられた日だ。成道会について、昨年12月8日の日替わりで書いた記事を紹介したい。

◇◆◇2012年12月8日のGikoohの日替わり法話より転載◇◆◇

藤井敏哉先生著『百華宛』の学生向きに書かれた「仏陀」を参照しながら、成道会について少しお話をしようと思う。仏陀のことを知る上において、Gikoohが高校2年生の時に一番最初に出会った教科書ということもあって馴染み深い1冊だ。120ページで完結されているというスマートさもお気に入り。

西紀前566年にインドのルンビニー園(現在のネパール領域)で釈迦国の王子としてご生誕されたお釈迦さまは、29歳で出家、その後激しい苦行生活に入られた。幼少より物事を深く考えるご性格で、それらの伝承は多い。お釈迦さまの出家に関しては、故郷・釈迦国の放棄、両親、妻子との別れ等、数々の衝撃的な事実はあるものの、単なる厭世(世の中や人生を嫌なものと思うこと)や遁世(世間を避けて仏門に入ること)ではないことを申し添えておきたい。

その後、人生への様々な悩みを解決する道を求めて6年間の旅が始まる。ところが、どんなに精神を苦しめても疑問は益々深まるばかり。。。やがて、これらの苦行は現実の矛盾から逃避するものであって人生の根本苦(生老病死)を解決するには至らないと結論し、苦行を捨て去ることを決意された。お釈迦さまの苦行は言語に絶する壮絶なものであったことが伝えられるが、この間の体験を通して誰も及ぶことの出来ない強固な意志や精神を鍛え上げられたと推察される。

*苦行を誤解されたらいけないのでGikoohの修行体験から私見を書くこのだが、苦行を通して得たものは非常に多く、後々の人生において役立つことが多い。

やがて、苦行林を去られたお釈迦さまは、村娘スジャータの供養した乳粥により体力を回復された。人生の根本苦を解決する方法が見つかるまでは決してこの座を立つまい」と誓い、その後49日間、アシヴァッタ樹の下で瞑想に耽られた。しかし、次から次へと襲い来る心の悪魔の襲来が瞑想を掻き乱し、悟りへの努力を妨害しようとした。しかし、それら1つ1つを降伏させ、やがてこの世の真相、人間の根本的な矛盾と心の姿を徹底的に見届ける瞬間を迎えられることとなる。

12月8日の早朝、幼少から迷い、悩み続けてきた苦しみの一切が消え失せて「仏陀」となられた。御年35歳。仏陀とは「目覚めたる人」「悟った人」という意味だ。先ほどのアシヴァッタ樹だが、この樹の下で悟りを開かれたので菩提樹と呼ばれている。◇◆◇以上◇◆◇
12月8日は全国の仏教寺院の多くでお釈迦さまが悟りを開かれたことを記念して成道会という法要が修されている。
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