勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

献花式より無事帰山

2012-05-13 22:32:28 | Weblog
12日(土)・13日(日)の2日間、京都の仁和寺にて執り行われた流祖奉献献花式に出仕させて頂いてきた。写真は、献花式が終わって控室の縁側にて。内容はまたに。
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自然に学ぶ

2012-05-11 21:23:10 | Weblog
如常の1日。境内の庭木が日ごとに青々としてゆく光景に初夏の訪れを感じる頃となった。牡丹が咲き終わり、ツツジが見頃となり、今はアヤメや芍薬の蕾が膨らんで、アジサイも開花に向けて葉を茂らせている。自然というのは自分の出番を知っていて、近年の不純な天候に左右されながら花を咲かせるので凄いと思う。人間も過度な文明に左右されぬよう自然体でいたいものだ。
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草刈り中

2012-05-10 21:59:28 | Weblog
如常の1日。午前中は寺務、午後は勝福寺の本山(御室・仁和寺)で開催される流祖奉献献花式に備えて1人で練習を、夕方は草刈りをした。

写真は今日の様子だが、結構急斜面なので1歩1歩足場を確かめながら作業を行っている。危ないと思われるかも知れないがGikooh本人は至って平気だ。だが、この作業中に蜂に刺されたり時にマムシに遭遇したりと、やはり危険と隣り合わせなので集中力が持続せぬようになった段階で機械を止めることにしている。山掃除は放っておけば言わずと荒れてしまうのでやらねばならない。

田舎に住む山寺のGikoohは、来客時以外に作務衣を着て澄ましていることは殆どなく、汗水流していることが多い。しかし、生きた法話というのは綺麗な所からではなく、こんな現場から生まれることが多い。蓮の花と同じ理屈かも知れない。

ところで、勝福寺では昨日から地元の大工さんが来られている。鶏小屋を移動して、幅が90cmほどの簡単な物置と、自転車小屋を建てる予定だ。そして現時点では何とも言えないけれど、工事をする便に山羊小屋も作っておこうかと考えている。工事が始まればまた写真をupしたい。
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日記

2012-05-09 22:43:19 | Weblog
如常の1日。勝福寺webの「Gikoohの見聞記」で大型連休の様子をupした。こちらの日替わりでも色々書ければと思いつつ、少々用事が多いのでこの辺で。
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日記

2012-05-07 22:06:27 | Weblog
大型連休が明けてGikoohは平素の生活に戻った。午前中は寺務、午後からは来客があり、その後夕方まで参道の草刈りをした。
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ルーラルカプリ農場へ

2012-05-04 22:52:41 | Weblog
大型連休も後半に入り、皆様はいかがお過ごしだろうか。総社は昨日あたりから天候も安定し、爽やかな好季に恵まれている。

午前中は法事があり、午後はGikooh Familyと吉備真備公献茶会へ、そして夕方は岡山市東区にある「ルーラルカプリ農場」という山羊を飼育している農場へ出掛けてきた。献茶会は昨年に続いての参加で、多くの人出で活気もあり楽しいひと時だった。また、竹の産地として有名な真備町は、毎年点心に出される素麺の器が竹で、とても風情があって良い。

ところで、ルーラルカプリ農場は、大分以前に友人夫妻から勧めてもらって以来とても気に入っているのだけれど、今回はオーナーのお話が伺いたくて訪ねてきた。オーナーから色々と親切なアドバイスを頂き、とても参考になった。

まだ検討中の段階で、今後の予定も何もないけれど、勝福寺で仔羊を1頭飼ってみたいと思っている。周囲の環境とか、飼育方法とか、諸々の課題がクリア出来れば、近い将来は境内のどこかで「メーメー」鳴いているかも知れない。
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Gikoohの好きな孔子の論語

2012-05-02 22:30:55 | Weblog
如常の1日。4月は常の檀務と寳燈展の準備や片付けで寺務仕事が滞り気味だったので、今日の午前中は寺務をした。午後からは幼馴染の友人が仕事の合間に立ち寄ってくれて、2時間ほど久々に色々な話をした。一緒に自転車で郷の街中を走りまわっていた子供の頃がついこの前の出来事のようで、物凄く時の流れを感じた。そんな彼は今、ある組織の重要な役職についており、幅広く活動している。

(気学的に考察)人生を富士登山に例えると42歳頃で頂上に到達する。頂上付近は比較的穏やか(約10年ほどか)で、それに加えて上り坂と下り坂の景色も見渡せる。上りの世代は、下りの世代の様子が分からないから人生の諸先輩の経験を参考にすることが欠かせない。「故きを温めて新しきを知る。以て師となる為し」(孔子)。下りの世代は、経験は豊富ながら上り坂の様子を見ることは出来ないから、逆に若者の意見に耳を傾ける必要がある。Gikoohは世を良くする為には、この世代間のバランスがとても重要だと思っている。

頂上付近にいる世代の人は、世の中の色々な世界や世代を多角的に垣間見ることが出来るから、今後の日本の方向性を見出す上において大事な役目を担うのが自然だと思う。幼馴染の友人が40歳付近で、組織の中心にいることをとても嬉しく思う。

孔子の有名な論語で、
「われ十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、
五十にして天命を知り、六十にして耳順い、
七十にして心の欲するところに従いて矩を越えず 。」

Gikoohはこの中でも、「三十にして立ち、四十にして迷わず」という部分が特に好きで、でも、そうある為には日頃からの心得を示唆しており、とにかく日々の限られた時間は大切に過ごさねばならない。
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八十八夜

2012-05-01 22:00:43 | Weblog
今日は八十八夜。立春から八十八日目で、この頃には霜も降らなくなり、種まきや植物を育てるのに心配ない頃とされる。また、八十八という字は米という字に通じ、縁起を担いで苗代を作って植え付けの準備をする頃とされる。(大師御宝暦参)

5月に入った。午前中は茶道の稽古があり、床脇の添え花にと「牡丹」を挿した。さすが「花の王」として愛好されるだけに、その気品の高さは深く人の心を魅了してやまない。
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