勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

賀正

2008-01-01 23:33:22 | Weblog
「青風生福寿」。凛として清々しい空気のなかで新たな年を迎えた。朝、お天道さまが大地を照らすとまるで寿気が舞っているようで何とも有難い気持になる。

今年は「戊子一白水星」の年だ。Gikoohが平素お世話になっている気学の師匠のお言葉を
拝借すれば、「十干」は戊(つちのえ)、これは茂るという意味があり拡大より内容の充実の求められる一年とある、一方「十二支」は子(ね)、干支の始めに戻ってきて一旦止まるように見えるが、根底では新しい流れが始まる意味があるという。どんな一年になるのか、干支に加え、「九星」は一白水星…、色々と思慮しなければならない場面にも遭遇しそうだけれども、どうか清く閑かな良い1年でありますように…。

さて、新年を迎えたGikoohの今日はのんびりと過ごすことが出来た。こんな日には火鉢(現在は瓶掛を使用)の前で饅頭を食べながら煎茶を飲むのが楽しい。今年は煎茶の話題をちょくちょく出そうかな。Gikoohは僧侶だけど、「拝む」とか「法話」以外のことで人の心に響くことを「煎茶」を通して伝えていけないかと考えている。和尚として拝むことは確かに凄く大切なことで、拝める力を持すことも必要だと思うけれど、今、若い人達の宗教離れが著しいのは、今の時代に生きる和尚さん達の影響も少なからずあると思う。妙に説教に熱心だったり、法要に熱心だったりする半面、実際人の心にはさほど響いてこないというのが現状ではなかろうか。何故、かつての日本の偉大な宗教家達があれほどまでに信仰があったのか、近頃のGikoohの最大のテーマだ。

何でも「間合い」ということは大切だと思う。落語でも噺の上手い人は「間」の取り方が非常に上手い。一般の人の実生活においても「間」の使い方が上手い人は、人を惹く。Gikoohの間は「煎茶」とか「抹茶」とか「華道」なわけで、その時間は無駄な時間のように思うけれど、これがなくなると人間味まで寂しくなると思うのでどんなに忙しくてもお茶を飲む時間は大切にしている。缶やペットボトルは勿論、がぶ飲みタイプはだめ、あくまで宝瓶や急須でないと意味は半減する。

今夜は時間が遅くなったので、また次回に…。
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