
◇御誕生
お大師様がお生まれになる以前のこと。母君・玉依御前と、父君・佐伯善通卿(ヨシミチ)の夢枕に、「天竺(インド)より貴い和尚様が曇に乗り来りて、母君の懐に入られる」という光景を同時にご覧になられた後、母君はご懐妊されたという。
そして、奈良時代末期の宝亀5年(774)6月15日、讃岐の国屏風ヶ浦(現在の香川県善通寺市)においてお大師様御出生。幼名は真魚(マオ)様。父君は、讃岐の国を治める官職統治の国司、つまり、現在の県知事のような役職を務められていた。母君はとても信仰深くて、玲瓏な美人だったらしい。
伝記によれば、天竺の貴い和尚様は、昨日の日替わりブログで書いた「不空三蔵」と伝えられている。不空三蔵の忌日が774年6月15日というから、摩訶不思議だ。
この画像は、大正10年3月に高野山金剛峯寺より「高野山真言宗参与会」の終身会員に贈られた『弘法大師行状曼荼羅』(勝福寺蔵)の「誕生霊瑞」という一場面から。Gikoohはレトロな雰囲気が好きなので、これから『行状曼荼羅』を本にして話を展開していければと思う。
お大師様がお生まれになる以前のこと。母君・玉依御前と、父君・佐伯善通卿(ヨシミチ)の夢枕に、「天竺(インド)より貴い和尚様が曇に乗り来りて、母君の懐に入られる」という光景を同時にご覧になられた後、母君はご懐妊されたという。
そして、奈良時代末期の宝亀5年(774)6月15日、讃岐の国屏風ヶ浦(現在の香川県善通寺市)においてお大師様御出生。幼名は真魚(マオ)様。父君は、讃岐の国を治める官職統治の国司、つまり、現在の県知事のような役職を務められていた。母君はとても信仰深くて、玲瓏な美人だったらしい。
伝記によれば、天竺の貴い和尚様は、昨日の日替わりブログで書いた「不空三蔵」と伝えられている。不空三蔵の忌日が774年6月15日というから、摩訶不思議だ。
この画像は、大正10年3月に高野山金剛峯寺より「高野山真言宗参与会」の終身会員に贈られた『弘法大師行状曼荼羅』(勝福寺蔵)の「誕生霊瑞」という一場面から。Gikoohはレトロな雰囲気が好きなので、これから『行状曼荼羅』を本にして話を展開していければと思う。
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