勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

涅槃会

2009-02-15 22:26:29 | Weblog
2月15日。途轍もなく偉大なお釈迦さまがお涅槃された特別な日。全国にある仏教寺院の多くでは、涅槃会というお釈迦さまの威徳を偲ぶ法会が開かれたことだろう。

「修行者たちよ、別れを告げよう。すべて存在するものは変化してゆくものである。汝らは怠ることなく努力せよ」(涅槃経)

これはお釈迦さまが弟子達に説かれた最後の遺告として非常に有名な一説である。

現在、世の中は暗澹たる空気が万延しつつ傾向にある。他人事として捉える人は漠然としか不安さを感じない。しかし先行きの見えない不況、少子高齢化、政界の混沌、人材育成の低下、治安の悪化など、やがて我々の生活に影響してくるのだということを知っておかねばならない。原因は色々だけれども、第一の原因が何なのか、最近になって答えがはっきりと分かった。Gikoohはもう何年かしたら、メッセージを発しようと今は思っている。
Gikoohは、このお釈迦さまの最後の言葉の意味を多くの人に知ってほしいと願っている。例えば企業の経営陣の方々、「お月さまと一緒で、満ちたら必ず欠ける」ということを肝に銘じておけば、この度のような不況は招いていないと少なからず感じている。人間は調子が良いときは「まだいける、まだ大丈夫」と一層欲深くなるけれど、下がり調子になった時のことを視野に入れておけば、欲深くはならないはずである。

「そんなことなら三歳の幼児でも知っている」
「三歳の幼児も知っているが、80歳の老人も実行することが出来ないではないか」

これは「白楽天」と「道林」という和尚の会話だが、人間は妙に賢くならずにもっとシンプルであっていいのかも知れないと感じている。

Gikoohが先日の日替わりで「人生の頂点は42歳」と書いたけれど、人生全般にわたり、満ち欠けがある。年齢と共に満ち欠けの調子は違うだろうけれども、「すべてのものは変化する」のだということを知っておけば、人生は分厚く価値ある生涯になるのではなかろうか。

さて、今日は早朝に勝福寺本堂でお釈迦さまを拝んだ後、Gikoohの生家「倉敷・安楽院」の涅槃会に参列してきた。約70人という大勢の檀家さんお参りされ、共にお釈迦さまの涅槃を偲び、ご先祖の供養を厳粛に執り行った。

Gikoohはすべての行事を終え、夜8時過ぎに勝福寺に帰山した。多用ながら、充実した良い1日だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする