年の瀬のひと時、皆様いかがお過ごしだろうか。
さて、23日の週は檀務と年末年始の行事に向けた準備でブログを2,3日お休みと書いていたけれど、その後も檀務が重なり多用になっている。
昨日28日は納めの護摩を無事に勤修させて頂いた。今年は世のなか全体が的に良い1年とは言えなかったと思うけれど、来年も引き続き用心して過ごさなければならないことが気学の観点からも示唆される。しかしどうか、無事な1年であって欲しい。
年の瀬のひと時、皆様いかがお過ごしだろうか。
さて、23日の週は檀務と年末年始の行事に向けた準備でブログを2,3日お休みと書いていたけれど、その後も檀務が重なり多用になっている。
昨日28日は納めの護摩を無事に勤修させて頂いた。今年は世のなか全体が的に良い1年とは言えなかったと思うけれど、来年も引き続き用心して過ごさなければならないことが気学の観点からも示唆される。しかしどうか、無事な1年であって欲しい。
昨日22日は境内の掃除をした。勝福寺は強風が吹くたびに裏山から落葉が境内に舞い、度々掃除をしなければならないけれど、頑張ろう。
週明けと共に檀務が入った。2,3日集中したいので、ブログは少しお休みを…。世間ではインフルエンザがかなり流行しているという。用心したい。
今日は正月用の未生松を生けた。
今日12月21日は弘法大師御影供(納めの大師)。今年は地震や世界の紛争などが相次ぎ、決して良い年ではなかったけれども、こうして御影供が修せることは有難いと言わなければならない。
お大師様の御著書『十住心第九』のなかに、「鼻緒に於て浄月輪を想うて 月輪の中に於て唵字の観をなすべし」。これを、空海名言辞典(高野山出版社)の現代語訳によれば、「瞑想をする時には、鼻の先端に清らかな月の輪を思い描き、満月の中央の梵字のオンを想念するとよい」とある。
Gikoohもその瞑想法によりながら、世の情勢を思い巡らして、世界中が平穏になることを念じた。いや、平和にならなければならないのだ。
今日は朝の夜の2回、小・中・高の計17名の子供茶道教室があった。将来はここで培った和の精神が生活の場面において生かされることを願っている。
話は変わるけれども、今日は年に1度の合併浄化槽の大掃除が行われた。綺麗にして頂き有難い。
この作業車…、何もかも凄く綺麗だったけれど新車かな。
これは油燈明用のお皿。勝福寺では、本堂で修法の時は、この油燈明を灯して御仏を供養させて頂く。菜種油の匂いも気分を高揚させる。今の時代だからLED電灯も使うけれど、本物の燈明には到底及ばない。今日は油燈明のお皿を掃除した。これ以上は綺麗にならず。
明日21日は納め大師。今年最後の御影供だ。
5日ぶりの日替わりになった。今週の勝福寺は15日に薄氷が張ると、一気に冬本番の気候となり朝晩は冷え込むようになった。今日も木枯らしが吹いて寒い1日だったけれど、Gikoohはお蔭様で元気に過ごしている。バタバタと多用ではあるけれども、嗜好の煎茶を飲んだりお花を生けたりする時間はあえて大切にしていて、常に自然体でいられる為の精神修養を心掛けている。
今年も余白が短くなってきた。そろそろ境内の大掃除も始めねば。
午前中は上げ法事があり、大勢参列されていた。懇ろな供養を受けられて、故人様もさぞかし喜ばれていたと思う。
夜は仏教講話があった。今日は般若心経の生い立ちの話や、玄奘三蔵の図像、お大師様の御著述『般若心経秘鍵』の苦悩を除く話、そして大般若経六百巻のうち、一巻をご覧頂くなどした。こちらも今日は大勢お見えになり有難かった。
今日は県北の新見市自然公園「大佐山」山麓の「夏日の極上水」(平成の名水100選)を汲みに行ってきた。勝福寺からは約2時間、片道85km弱と遠いけれど、2013年以来、1年に2回訪ねることにしている。それ程ここの水は極上なのだ。ちょうど息子が小学校行事の振替休日だったので道連れに。
また、12月13日は正月事始め。そろそろ準備に取り掛からねば。
午前中は結集寺院内の若手、中堅、若年寄が集う月例の勉強会があり参加、午後からは来客や掃除、そして夕方は軽バンのタイヤを夏用から冬用に履き替えた。まだ少し早いような気もするけれど、備えあれば憂いなし。
町工場にて。因みに昨年は12月1日に履き替えていた。
この地域の真言宗には年忌供養の本尊として十三仏信仰の慣習が古くからある。先日、危篤状態から生還された方から体験談を伺う機械があった。その方は昏睡のなかで、こんな夢をご覧になられた。
病床にあるご自身の枕元に、金色に耀く十三仏が出現されたのだという。その時、ご家族や近親の方々はベッドの周囲を取り囲んで最後の別れをされていたけれども、その後生還の奇跡に恵まれた。
現代人の多くは、目に見える物だけがこの世の全てと捉える傾向かも知れないけれど、実は目に見えない世界の方が圧倒的に多く、世を去るか残るかの瀬戸際時に、十三仏や諸仏の群衆と遭遇することは現実にあるとGikoohも思っている。
その方は平素から信仰心が篤かったので、潜在意識がそう感じさせたことも想像できるけれど、とにかくお蔭を授けられたのだと思われる。いざ、この世を去らねばならぬ時に金色の仏さまにお迎え頂くのか、それとも三途の果報を見るのかは大きな差異がある。神仏の世界のことも、地獄極楽のあの世のことも、いずれ科学が証明する時代になるかも知れないけれど、平素から神仏に手を合わせるような人になって欲しいと思う。
午前中は茶道の稽古があった。
先週2日のブログで、勝福寺本堂の裏堂に掲げている「十界図」(約180cm×約120cm)を額装から表装に仕立て直すことについて書いていたけれど、本日工房に向けて搬出。額縁は頑丈で良い物なので、十界図を外した後も引き続き利用することにしている。
十界図が表装になれば持ち運びが自在となるので、絵解きなど今後の活用方法が広がると思う。一たびこの絵を肉眼で見れば心に印象深く記憶され、道徳心が高まるだろう。
近年、仏事で様々な動きのある勝福寺だが今年は一層多いように思う。Gikoohもしっかり仏さまにお仕えせねば。