blog 福祉農園通信・龍神伝心

アジアモンスーンに吹かれて
共生の農業
見沼田んぼ福祉農園 

見沼・風の学校の合宿を終えて

2012-03-06 | 農園作り

「私たちが取り組んできたのは、都市問題だったのだ」
 3月3日、4日は風の学校が年度末に毎年やっている合宿。
 毎年フィールドを決めて行ってきた。
 今回のフィールドは浦和の町で、

前後に会議をいれつつ、南浦和から北浦和まで歩く。

 
パン屋をめぐり、農園関係者の仕事場をめぐり、暮らしの場をめぐる。

写真、農園のネギをつかったネギパン。

 途中に、おじいちゃん、おばあちゃんが
格安の健康食品の販売場所の前に集まっているを見て、
休憩場所のあまりの少なさを感じ、殺風景な公園の風景を見る。
 子どもの頃からさまざまな場面で言った喫茶店が、


子どものころに連れられていった自然食品店が残っている。
 その一方で、個人商店がなくなり、商店街の力が弱くなったことを聞く。
 まちには可能性があり、まちには歪みがある
 まちには記憶があり、喪失がある
 過去の入り混じった現在を歩きながら、この先の未来を考える。

 
本来、人にとってのメディアは町だった。
 町は人を自由にし、人を交わらせた。
 だからさまざまな物語が生まれ、それがまた人を惹きつけた。
マスメディア、インターネットなど新しいメディアが発達する一方で、

メディアとしての町の力は弱まった。
人と物はただ移動するだけで、交わることはない。

だから物語は生まれず、懐かしさを感じることはない。
 そんなことを想う。メディアとしてのまちに出会いなおした一日。
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 夜の会議の場では、ロータリークラブの古沢さん、

ペンギン村の関さん、Yさん、Rさん、
そしてR氏の介助としてやってきたこまどり社を交えて、町について語る。
河合塾コスモのコヤさんもやってきて、若者支援の話をする。

 そのまま宴になだれ込み、4時過ぎまで呑み続ける。


 翌日、農園では坂上香さんが息子とやってくる。

坂上さんと、彼女が今度農園でやろうとするDV被害の人々や、
薬物依存から抜け出そうとする当事者グループの人たちとの、
表現活動について打ち合わせをする。
その傍らで、9歳の息子さんと、農園ボランティアの藤枝さんと、
百姓先生の人見さんと、
風の学校のスタッフや農工大の学生が一緒にじゃがいもを植えている。


農工大の若者たちは、

分たちの伊豆や千葉での、村おこしの活動について語った。
その場所に<社会なるもの>が存在していた
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合宿を終えて、福祉農園が取り組んでいるのは、
都市問題であることに気づく。
これまでの保全運動のように、
都市を切り離し、自然環境として保全するのではない。

都市にある問題と、見沼をつなげ、
私たちが見沼田んぼを守るのではない。
私たちが見沼田んぼに守ってもらうのだ。
ずっとそうやってきたし、これからもそのことを深めていく。
同じことを、釜ヶ崎の人々も、郡上八幡のまちづくりにかかわる人々も、

原発を止めて四国四万十窪川の人々もやってきたのではなかったか。
郡上八幡の高垣さんは、愛宕公園の桜について、
 「人間が桜を守るという傲慢な発想ではなく、

桜に町を守ってもらうと考えるべきだ」と語っていた。by事務局長


 

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