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東京電力福島原子力発電所元従業員の証言1

2013-08-28 | 龍神伝心
東京電力福島原子力発電所で
事故当時、働いていた元従業員の証言1。

東京電力福島第一原子力発電所事故当時、
中央制御室(中央操作室)で事故対応にあたっていた
元運転員が事故当時の状況を語った。
運転員としは初の証言となる。

TBS  報道特集 
元東電社員の告白 辞めたワケと20年前の"ある事故"(1)
http://www.youtube.com/watch?v=0ggzk6YZT5w
元東電社員の告白 辞めたワケと20年前の"ある事故"(2
http://www.youtube.com/watch?v=CCHBpI3Jjzc


「死ぬ覚悟した」~福島原発の元運転員証言  
今回インタビューに応えたのは、
事故当時、
福島第一原発発電所2号機の運転員だった井戸川隆太さん27歳。
井戸川さんは双葉町出身で、
中学卒業後に東京電力が運営する東電学園(東京)に入学。
電気に関する専門知識を学び、1
8歳で地元・福島第一原子力発電所に配属された。
以降、原子炉を運転する現場で下積みを重ね、
25歳のときに運転員試<WBR>?験に合格。
2号機の運転員(オペレーター)を担ってきた。

2011年3月11日は非番だったが、
地震発生後すぐに、自宅から発電所に急行。
津波<WBR>?が押し寄せていたため、
しばらく重要免震棟で待機していたが、
午後5時すぎに2号機の中央制御室に向かう。
中央制御室は電気もなく真っ暗で、
冷却のための注水ができないまま、
室内の線量は徐々に高くなっていったという。
中央制御室は1号機と2号機の間にあり、同じ場所を共有している。
11日の夜中にかけ<WBR>?て、1号機側の線量が高くなってきたため、
1号機の運転員らも2号機側に避難しながらパラメーターを確認する時だけ、
一瞬、1号機側に移動するという状況だった。
井戸川<WBR>?さんは、11日の段階で、
メルトダウンしているだろうと考えていたという。
井戸川さんは内部被ばく量を過少に評価されたと告発する。
2011年4月に内部被ばく量を計測したにも関わらず、
個人の公式記録に残すデータは、
すでにヨウ素被曝の影響がなくなっていた7月のデータが採用されたという。
東京電力が認めた井戸川さんの被曝線量は85ミリシーベルトだ。
井戸川さんは2012年1月に東京電力を退社した。
会社の上層部の考え方についていけなかったためだという。
政府による事故収束宣言が直接の引き金となった。1
号機爆発、<WBR>?重要免震棟への退避、そして、
東京電力を辞める決断をするまで、その一部始終を語った

詳細はこちら http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1628

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