blog 福祉農園通信・龍神伝心

アジアモンスーンに吹かれて
共生の農業
見沼田んぼ福祉農園 

乱開発の語気が止まった1987年 Ⅱ

2019-06-19 | 龍神伝心
1987年
 
見沼田んぼの片柳に約一反の谷地田を借り、現在の福祉農園の代表が家族や友人と共に農園の実験を始めます
 野を焼き、篠竹の根を掘り起こし、枯葉を集め堆肥づくり、そこから農場作りは始まった。

 農家資格のない市民は農地法上、農地を買ったり、長期的に安定して借り受けることができない不法耕作者です。片柳の試みは圃場整備事業が入り、わずか4年で終わる。
ここでの体験が現在の見沼田んぼ福祉農園の農園作りに活かされています。
1991年。土地利用協議会が始まる。
1995年。

見沼3原則に代わる新たな「見沼田圃の保全・活用・創造の基本方針」が決定される。

見沼田圃の保全・活用・創造の基本方針」の方向として
①人間の営みと自然との調和
②緑豊かな空間 
③効率的、、安定的に農業が行える場 
④ライフステージに応じた自然とのふれあえる場 
⑤治水機能の保持に配慮しながら農地、公園、緑地などとして土地利用を図っていくことが掲げられた。

1998年。「基本方針」の柱に見沼田圃公有地化推進事業が位置づけられた。
見沼田圃公有地化推進事業とは
厳しい開発規制と引き換えに県が農地を買い取ったり、借り受けたりして活用する。
基本方針に沿って98年に始まり、約14ヘクタールが公有地化された。
公有地事業で福祉農園や市民農園、体験水田などが生まれた。
1999年春 
公有地化推進事業の一環として見沼田んぼ福祉農園が開園する。

 見沼田圃公有地化事業が始まり、見沼田んぼを愛する多くの市民が、自然な形で見沼田んぼの保全の活動に参加するチャンスが広がって来ていることを実感しています。
 実際に福祉農園づくりに携わってみて感じることは、公有地化推進事業は、農地の利点を活かし、農地を農地として活用しながら、見沼を農的な景観として保全しようとする試みなのだと言うことです。
農の論理=「いのちとくらし」の論理を基本として
 「理屈は脇に置いて、障害のある人もない人も、お年寄りも若者も、まず汗をかいてみる」。そこから農園づくりを始めた。
 福祉農園が近隣の農家の方々に受け入れられてのは、理屈ではなく、まず共に汗をかく事から始めたことにあると思う。
 農家の方は話に興が乗ると、子供の頃の澄んだ加田屋川や芝川。代用水での魚取りや川遊びの事や、重労働だった田の仕事の思い出を楽しげに話してくれる。
 農家の方々と話して感じることは、「先祖が残してくれた見沼を守りたい。」と言う強い気持ちと「守り抜いてきた。」と言う誇りです。
見沼を守ってきたのは、見沼の農家の営々とした農の営みによるものです。
 見沼の農家の「先祖がそして自分達が守ってきた見沼を守り抜いてきたい」と言う思いを共有すること無しに、見沼保全を語ることは許されないと思います。
 
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