そもそも「障害者が街に出て生きる」とは、どういうことなのか。
その困難さと可能性を体現してきたのが、弱視や難聴、下半身まひの障害を持ちながら自宅で暮らし、
「県交渉」などの活動にも参加し続ける橋本克己(かつみ)さん(58)=越谷市。
「渋滞」と「絵日記」でその存在を街に知らしめた人だ。
橋本さんは、重度の障害で小学校を「就学免除」にされ、長屋の一室に閉じこもって暮らしていた。
葉でのコミュニケーションができず、毎日、自室に並べたミニカーを指や虫眼鏡で点検し、
わずかな傷を見つけてはパニックになって暴れ出す。
窓を割り、家具をひっくり返すほどの暴力に疲れ果てた家族は、施設入所を決断しようとしていた。
ちょうどその頃、1978年に障害者や支援者で設立したばかりの「わらじの会」のメンバーが訪れ、
橋本さんは初めて街に出た。
19歳だった。電車やバスに乗り、道行く人とすれ違うだけで、自室では感じ得なかった刺激を受けた。
この「衝撃」を周りの人に伝えようと、駅やバス停の看板から字を覚え、
手話を習い始め、イラストを描くようになった。
パニックも次第に治まった。
世界を広げた橋本さんは1人でも街に出るようになる。
しかし当時、車いすで通ることができるのは車道しかなかった。
しかも雨水を排水するため、道の中央を高くして両端は斜めに傾けてある。
端が危険なため、結果的に車いすで真ん中を走ることになった。
かくして、橋本さんの自宅近くにある国道4号バイパスでは「克己渋滞」が発生した。
クラクションが鳴り響いても、難聴の克己さんには届かない。
タクシーの無線で「車いすのあんちゃん出現、迂回(うかい)せよ」という連絡が回った。
車にはねられるなど何度となく交通事故に遭い、いら立ったドライバーに殴られる日もあったが、
過酷な経験をもイラストにして「武勇伝」に変えた。
橋本さんは37歳を迎えた95年、イラスト集「克己絵日記」を出版する。
その帯に、わらじの会メンバーとして橋本さんを見守ってきた山下浩志さん(73)=春日部市=は、
こう寄せた。
<彼は決して「障害を克服」した美談の主ではない。
交通渋滞の元凶であり、あたりかまわず手を借りて街を行く迷惑物体そのものであるかもしれない。
しかし、そんな彼だからこそ、いないと困る。
彼がいるから「みんながありのままに生きる」という社会がイメージできる>
近年、橋本さんは弱視が進み、イラストもおぼろげに輪郭をとったものになった。
それでも週2、3回、ヘルパーの車に乗って、コンビニエンスストアに買い物に行く。
棚の位置は頭に入っているので手探りで商品を選び、レジに財布のコインを全部出し、
店員さんに必要な金額を取ってもらう。
時間をかけ、店側と一緒に築いてきたスタイルだ。
今、楽しみにしているのは来年の越谷花火大会。
今年は床ずれで入院して見られなかった。
手話で「7・2・9」と来年の開催日を予想し、指折り数えて待っている。
目に見えるのはぼんやりとした影かもしれないが、空気を揺るがす振動や火薬のにおいが、
大輪の花のイメージを結ぶ。【奥山はるな】=つづく