土井市議の感慨
見沼田んぼ福祉農園の収穫祭にお招きいただき、
短い時間ながら、いろいろな人と話をさせていただいた。
四国から来た方。40年前に原発誘致の話が浮上した際、
四国から来た方。40年前に原発誘致の話が浮上した際、
自民党の地域の幹部だったが断固として反対し、
結果的に阻止することに繋がった。
が、この30数年間、
「あんたのお陰で地域の発展が妨げられた」と厳しい目で見られた。
この空気がガラッと変わったのは、福島事故であった。
福島県伊達市から来た方。飯舘村で生まれ育ったが、
福島県伊達市から来た方。飯舘村で生まれ育ったが、
原発事故を境に、住めなくなった。
原発からは距離はあったが、風に運ばれた放射能によ...り、
その値が最も高い自治体の一つとなった。
その方は、もう戻らない、と断言した。
3年後の平成28年には帰村宣言が出されるが、
1年しか補償期間がなく、その後のことを考えると、
ほとんどの人は戻れないだろう、と言っていた。
60歳を超えていらっしゃるように見える。事故の罪深さを実感した。
我々首都圏の人間は、東電や政府だけを糾弾すればいいというものではない。
首都圏の電気を賄うための発電所が、事故を起こし、
そこに住めない方々を大量に生み出してしまった責任を痛感した。