blog 福祉農園通信・龍神伝心

アジアモンスーンに吹かれて
共生の農業
見沼田んぼ福祉農園 

見沼・風の学校 2011年末取り纏め

2011-12-31 | 農園作り


何を耕すのか?―311への直感―
3月、緊迫した様子を伝えるテレビは、
原発の建屋が吹っ飛ぶ映像を我々に突き付けた。
その時覚えた恐怖と不安は何だったか。
自分が被曝するかもしれないという身に迫った危機に対して、
我々が対応できる手段はゼロであった。
まず放射能というもの自体まるで掴みどころがなく、
どのように状況を捉えればよいのか全く分からなかった中、
できる限りの所から情報を取り寄せ、
食いつないで耐えしのいでいた。
そして、どうやら問題の終息には途方に暮れるような時間が必要になると分かれば、
茫然とするほかなかったはずだ。
早くも8ヶ月が過ぎた。節電の夏が過ぎ、
秋が来て、冬を予感させる今、
原発事故を伝えるニュースはもはや旬を過ぎた話題のように響く。

シンサイとゲンパツという言葉のある状況にすっかり包み込まれ、
一度は疑ったはずの日常を再び肯定し生きざるを得ない状況がある。
あんなに天地がひっくり返ったにも関わらず、それでも風化は起きてしまう。
人々はあまりにも自らの神経をよそに託し過ぎたように思う。
私一人の力では原発とか震災に太刀打ちならないが、
専門用語が飛び交う界隈があることで世の中はなんとか体裁を保っているように見える。
その言葉を発する連中はことごとく下らないが、
しかし一方で彼らに頼らざるを得ないのだから、
もうそこに任せてなんとかなってくれればいい。
でなければ、身の回りが保障されさえすればいい。
まるで祈るようにして生きているようだ。


ところで、当然農園も存亡の危機に立たされた。
今後農園の野菜が食べられなくなるかもしれない。
そこでありとあらゆる手段を用いて対抗し活動し続ける選択をとった。
事故直後に放射能に関するレクチャーと意見交換を行ったことは、
農園が早くから放射能問題に対抗する足場を持っていたことを示している。
このような行動を可能にしているのは、農園に来る人達と、
農園がやってきたこと、農園という土地の3つの要因があると思う。
開園以来、農園は実に多くの人たちによって維持され、
自立するための強固なエンジンを備えてきた。
加えてその維持に関わった多くの人とは本当に多様で、
はたから見れば異様な集団にも見える。
この多種多様な人達の知恵を統合的に活用することで、農園は回り続けている。
また、農園にいることで、我々は素朴な季節感を感じることができる。
自分の五感を通して季節を感じ、その微妙な変化を察知して
畑に手を加えていかなければならない。
一見自然にも思えるこの行為は、
自分自身を信頼していなければ不可能である。

ここには与えられた情報のみで生きていく方法とは違って、
主体的な判断が迫られる。
自分の五感は自分にしか感じ取れないのだから、
自分自身の感覚を信頼せねばならなくなる。

農園で作業することは、
そのまま自分で思考し行動するための選択の幅を広げることにつながるのだ。
あらゆる方向から集まった知恵と自らの直感を通して、
得体のしれないものに対して少しずつ解読し対応する術を身につけることができる。
未曾有の大災害と、それをも上回る日常の作用に対抗する手段を、
農園では耕し語ることで鍛えるのだ。by諒

これからの10年を見据えて
今の状況自体が数年前からは考えられなかったことがたくさんあるので、
10年後を見据えるのはなかなか大変だが、
今から10年後は仕事を始めて10年後なので、
しっかりと自分の居場所を持った上で、
今とは違った考え方や視点を持って農園について考えたり、
農園から社会を考えたりできるようになっていたいと思う。
わたしにとって、
農園はこれからもずっと汗をかきながら考えていく場所であり続けると思うし、
それをできる多様な人々が集う場所だと思う。ただ4月からどこの地方で働くのか、
どこに住むのか、週休何日かも何も分かっていない状態なので、まさに未知数。
春からもめぐり合いを信じて、出会いを信じて、のらりくらりと過ごしたい。
しんどくてもそこでならふんばれると思える自分の土地を持つこと
そこから社会を考えることを10年スパンの目標にしてがんばっていきたい。
byかなた

週末作業に参加できるときは、
農園に人がいない状態を作らないということを重視したら、
あまり参加者のいないときに農園に行くことが多くなり、
福祉農園で活動しているのに風の学校との関わりは薄くなったなぁと思った。
自分のキャパシティを考えて、
あまり重い仕事には関わらないようにしていたという面もあるが。
 平日作業に関わっていたので、
代表のおっしゃっている「福祉農園の主役は彼らだ」という言葉の意味は、
なんとなく実感できるようになった。
サバイバルキャンプのときに、
若い学生さんたちに苦言を呈したりしたのも、その意識の表れだったのかなと思う。
 人不足にはいつも悩まされている感のある福祉農園だが、
今年は特にそれを顕著に感じた1年だった。byサチ

わたしにとって農園は、就職活動して、
勉強会に出て、いろんな人に出会っている動機の背景だった。
農園で土を耕し、草をひき、野菜を食べることをしていたから、
共鳴するものがあり、行動になったことがあった。
4月から就職して、
これから農園にどんな関わり方をしていこうか、ということが念頭にある。
それはたぶん、10年先を見据えた話の中でも重要なことだと思っている。
農園に通うようになって、わたしは生きるために必要な技術を、身につけたいと思った。
農園に関わるなかで「自分の技」がほしくなった。

それは3.11を経て、より切実になった。
具体的に農業技術なのか、調理法なのか、栄養学的なものなのか、
どれと明確に決められているわけではないけれど、
職場でもいろんなものを学ぶチャンスが得られるし、
農業技術も調理法も栄養学も全部身につけられたら、
おいしい野菜を作れるようになるし、
それをおいしく栄養のことを考えて調理出来て、
そんなふうになれたらいいなと考えている。byチヒロ
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