やっと電気が来た。 (だだわらす子のひとり言)
私たちの今と未来を考える集いによせて
2011,03,18 見沼風の学校スタッフ 面川常義
昨日代表から転送されて父のメールの通り6日振りに電気が復旧しました。
今まで電気や水道といった当たり前のように使っていた
ライフラインがすべて使えなくなり、
現代の生活がいかにもろいのか痛感しました。
そして、昔ながらの火を使う生活
(うちには薪ストーブがあるので)がいかに安定しているのか,
こんな時にでも頼りになるのか実感しました。
昔は自然にある物を日常に取り込みながら生活していたのだと思いますが、
現代においてはそれらすべてをライフラインというサービスで受け取ってしまう。
いざそれが使えなくなるとなんにもできなくなってしまう。
うちでは昔ながらの生活の片鱗が残っていたからライフラインがなくなっても
あまり不自由なく暮らして行けたのだと思います。
そして、そのような生活には、暮らしを支える日常の「しごと」があります。
薪を割ったり、自給用の畑をたがやしたり、水を汲んできたり、
一般的な家事とは違うけど生活に直結する労働です。
普段ライフラインが機能している時は気にもとめませんでしたが、
いざと言う時には、
これらのことが生活の支えになっていました。
おそらく、
風の学校の活動もこの「しごと」に近いものがあるのかもしれません。
震災後いろんな情報が飛び交う中で冷静を保てたのは薪割りや畑仕事など
生活に直結する「しごと」があったことが大きいです。
私は、14日から市内でボランティアセンターが立ち上がり
昨日までそこで活動していました。
そこで市内にある避難所を何箇所か廻ってみたのですが、
各地区ごとでお互いに助け合いながら自発的に炊き出しをおこなったり、
水を汲んできてあげたり自発的に助け合いながら生活しているのが印象的でした。
角田には地区ごとのコミュニティーがしっかりと保たれており、
お互いに助けあう共助の精神が浸透していることを知りました。
津波の被害がなかったこともありますが、
現にこの震災で角田市では死者が出ておりません。
今まで見えてこなかった地域の営みを垣間見て、
その土地に地に足をついて暮らしている人たちの力強さを感じることができ、
あらためてここに生まれてよかったと感じました。
そして、震災に遭い改めて農家が持つ強さ、
土とともに生きる人の逞しさを知りました。
大震災があったにもかかわらず、
安心した生活が続けられているのは、
明日食べる食料があったからこそだと思います。
そして震災2日目の朝に祖父が
「今出来る事をやんないといけないべ」と言っていたのが印象に残っています。
メディアなどから流れてくる悲惨な情報に流されたり、
動じたりすることなく今やるべきことを淡々とこなしていく。
その姿勢に心打たれました。
そして今日から本格的に種まきへ向けての作業を再開しています。
まだ水が来なかったり、
ガソリンや燃料が不足しているなど先行きが見えないのは変わりませんが、
父や祖父といった偉大なる先輩たちの元で、
この角田の大地と向き合っていきたいと思っています。
残念ながら農園にはしばらくの間行くことが出来ないですが、
こんな時だからこそ畑を耕すことが意味を持ってくるのだと思います。
どんな事情があっても季節は歩みを止めません。
植えるときに植えないと手遅れになってしまいます。
そのことを私はいま学んでいます。
顔を出せない身でこんなことを言うのは申し訳ありませんが、
どうか畑をよろしくお願いします。
今年の天候は春先になっても暖かい日が続かず、
地温が上がりにくくなっています。
地温が上がらないと発芽しにくくなったり、
芽がでても枯れてしまうことがあります。
そこで作付けする際はマルチや寒冷紗を忘れずにしてください。
最後に私は土で繋がっていることを信じて、
角田の大地を耕します。
みんなにまた会えるのを楽しみにしながら、
いまは「今やるべきこと」をしっかり見据えながら、
そして今まで福祉農園で培ってきたことを
活かしながらしっかりやっていこうと思います。
私たちの今と未来を考える集いによせて
2011,03,18 見沼風の学校スタッフ 面川常義
昨日代表から転送されて父のメールの通り6日振りに電気が復旧しました。
今まで電気や水道といった当たり前のように使っていた
ライフラインがすべて使えなくなり、
現代の生活がいかにもろいのか痛感しました。
そして、昔ながらの火を使う生活
(うちには薪ストーブがあるので)がいかに安定しているのか,
こんな時にでも頼りになるのか実感しました。
昔は自然にある物を日常に取り込みながら生活していたのだと思いますが、
現代においてはそれらすべてをライフラインというサービスで受け取ってしまう。
いざそれが使えなくなるとなんにもできなくなってしまう。
うちでは昔ながらの生活の片鱗が残っていたからライフラインがなくなっても
あまり不自由なく暮らして行けたのだと思います。
そして、そのような生活には、暮らしを支える日常の「しごと」があります。
薪を割ったり、自給用の畑をたがやしたり、水を汲んできたり、
一般的な家事とは違うけど生活に直結する労働です。
普段ライフラインが機能している時は気にもとめませんでしたが、
いざと言う時には、
これらのことが生活の支えになっていました。
おそらく、
風の学校の活動もこの「しごと」に近いものがあるのかもしれません。
震災後いろんな情報が飛び交う中で冷静を保てたのは薪割りや畑仕事など
生活に直結する「しごと」があったことが大きいです。
私は、14日から市内でボランティアセンターが立ち上がり
昨日までそこで活動していました。
そこで市内にある避難所を何箇所か廻ってみたのですが、
各地区ごとでお互いに助け合いながら自発的に炊き出しをおこなったり、
水を汲んできてあげたり自発的に助け合いながら生活しているのが印象的でした。
角田には地区ごとのコミュニティーがしっかりと保たれており、
お互いに助けあう共助の精神が浸透していることを知りました。
津波の被害がなかったこともありますが、
現にこの震災で角田市では死者が出ておりません。
今まで見えてこなかった地域の営みを垣間見て、
その土地に地に足をついて暮らしている人たちの力強さを感じることができ、
あらためてここに生まれてよかったと感じました。
そして、震災に遭い改めて農家が持つ強さ、
土とともに生きる人の逞しさを知りました。
大震災があったにもかかわらず、
安心した生活が続けられているのは、
明日食べる食料があったからこそだと思います。
そして震災2日目の朝に祖父が
「今出来る事をやんないといけないべ」と言っていたのが印象に残っています。
メディアなどから流れてくる悲惨な情報に流されたり、
動じたりすることなく今やるべきことを淡々とこなしていく。
その姿勢に心打たれました。
そして今日から本格的に種まきへ向けての作業を再開しています。
まだ水が来なかったり、
ガソリンや燃料が不足しているなど先行きが見えないのは変わりませんが、
父や祖父といった偉大なる先輩たちの元で、
この角田の大地と向き合っていきたいと思っています。
残念ながら農園にはしばらくの間行くことが出来ないですが、
こんな時だからこそ畑を耕すことが意味を持ってくるのだと思います。
どんな事情があっても季節は歩みを止めません。
植えるときに植えないと手遅れになってしまいます。
そのことを私はいま学んでいます。
顔を出せない身でこんなことを言うのは申し訳ありませんが、
どうか畑をよろしくお願いします。
今年の天候は春先になっても暖かい日が続かず、
地温が上がりにくくなっています。
地温が上がらないと発芽しにくくなったり、
芽がでても枯れてしまうことがあります。
そこで作付けする際はマルチや寒冷紗を忘れずにしてください。
最後に私は土で繋がっていることを信じて、
角田の大地を耕します。
みんなにまた会えるのを楽しみにしながら、
いまは「今やるべきこと」をしっかり見据えながら、
そして今まで福祉農園で培ってきたことを
活かしながらしっかりやっていこうと思います。