福祉農園の仲間、「わらじの会」の山下さんから届いたメール。
2月7日、TOKO主催で行ったゆみ幼稚園の園長先生・鈴木一義さんの講演のあらました。
視覚障害の子を、足をひっかけて転ばせた子の話が書かれています。
先生が障害について、関わり方について、話をしてくれたけれど、
ほんとうにそうなのか、その子は自分で試してみたのでした。
ほんとうに転んだことで、卒園するまで、いすを運んだりお手伝いをしたといいます。
(鈴木先生の講演の全記録は、別途パンフにします。)
私たちが求める生活は、障害について理解のある人々に囲まれ、支援の行き届いた生活ではありません。
あたりまえのこととして、一緒にそこにいるから、いやおうなく足を出し、
手を出して、たしかめ合わざるをえないような関係の中にいることを求だから、
学力がなくとも、しゃべれなくても、「どの子も地域の公立高校へ」なのです。
そして、たとえ雇用・就労対象からははずされていたとしても、
雇用・労の場である職場に、訪問、見学、体験、実習、施設外就労、
グループ就労など、あらゆる形をとって入り込んで一緒にいる「職場参加」なのです。
支援に囲まれた生活をめざすのではなく、あたりまえに学校・職場・地域にいることを進めるために、
そしてい続けるために、いることを共有するために、支援を活用できるようにしましょう。
なんのために、支援をつくってきたのか、私達は問い直す必要があります。
TOKO NO.153 2009.4.10
ど子も地域の学校へ!公立高校へ!東部地区懇談会
連絡先・Tel 048(737)1489
ホームページ: http://members.at.infoseek.co.jp/TOKOnews/http://members.at.infoseek.co.jp/TOKOnews/TOKO.htm
「堂々と胸はって共に生きよう」(あゆみ幼稚園園長・鈴木先生)
育ち合い・育て合いの草分けがいま熱く語る――2月7日(TOKO講演会)
(お話の概要)
70歳を過ぎているので園長をやめるつもりだったが、
後縦靭帯骨化と線維筋痛症という二つの病気で、障害を負ってしまったため、
こういう体になったからやめるというのでは共に生きようと言ってきた自分の考えに反すると思い、続けている。
40年前にあゆみ幼稚園を作ったとき、人間として生まれてきた子供は、障害があろうがなかろうが全て受け入れようと、
若い先生達と話し合った。
ある時、目の見えない一美ちゃんが明かりを頼りに歩いているとき、男の子が足を出し、
一美ちゃんはが言っているように目が見えないんだろうかと思って、足を出した。ほんとうに見えないんだと知って、
その子は一美ちゃんが卒するまで、いす運びとかお手伝いをした。転んでしまった。
その子は、一美ちゃんはほんとに先生達
足に障害があり家で過ごしていた子どもは、最初笑顔がなかった。
先生が声をかけても変化がなかったが、子どもたちが入れ替わりそばに行って、○○くん、と声をかける。
返事が返ってこなくても、声をかける。大人だと、返事がないと、次の言葉が出てこない。
子どもはたくさんいるから、次から次へといろんな子どもたちが声をかける。
大人が食事を食べさせようとすると拒否するが、子どもたちがスプーンで食べさせようとすると、喜んで食べるようになった。
学校とは何を学ぶのか。2+2が4になるとか、この字はなんなのかという知識だったら、家庭でもできる。
あるいは、訪問教育として、家に来てもらって教えてもらうことだってできる。
けれど、ほぼ同じ年齢の子どもたちがみんな集まって、相互に刺激し合って、心を育てていく、
学校とはそういう場所だと理解していただければ、どの子もも受け入れたくなるはずなんだ。
今年4月から学習指導要領が変るので、文科省が各ご家庭に「生きる力」という冊子を配っている。
私は、「共に生きる力」とてほしい。
健康な人達でもひとりで生きていけるのかといえば、身の回りのことはできるだろうが、心は育たない。
昔、障害があるとか、他と違いがあると、種族が違うとか、悪魔に取り付かれているのではといって、差別した。
科学文明が発達しても、さまざまな差別がある。
障害者差別もその一つ。
文部科学省が進めている特別支援教育の推進のために、知的の発達の遅れとか、
発達障害の早期発見をということで、いろいろ言ってきている。
幼稚園への指導資料にも、「こんな子はありませんか?」というのがある。
「他のことに気をとられて着替えがなかなか進まない」、「極端な偏食」、
「持ち物をよくなくす」……こんなことは、大人にもよくあること。
人は雑穀米。16種類とかある雑穀米を播いたら、16種類の芽が出る。100人いれば100通りの生き方がある。
幼稚園、小学校、中学校、高校、あらゆる場面で共に生きることを大切にしていかないと。
どこかで分けていくと、お互いに違った人種のようなまなざしで見るようになってしまう。
聴こえる・聴こえない、話す・話さない、そんなことは関係なく、共に生きていくために何ができるか、
お子様をお預かりしたときに、そこから考えていけばいい。
日本人が一番得意な言葉、万が一という言葉。万一っていうのは、万分の一の話。
そのことにおびえて、校長先生も教頭先生も、ああでもないこうでもないと理由をつけて、拒否しようとする。
先生に、万一のことがあったらどうしますって言われたら、万分の九千九百九十九は大丈夫なんで受け入れてくださいと、
堂々と胸を張って、普通小学校、普通中学校、高校、そして社会に出て、共に生きていきましょう。
いかがお過ごしすか。つい先日ふきのとうを刻んで味噌汁に入れたり、 ふきのとう味噌にしてご飯にのせて楽しんだと思ったら、もうびっしりとふきの葉が出揃っています。 春の楽しみはいろいろですが、春の苦しみ、悲しみもまたさまざまにありました。 | |
今日、雨の中、見沼田圃の福祉農園の近くを車で通ったのですが、 八重桜や花蘇芳 (はなずおう)、はなみずきが風景を華やかにしていました。 | |
花蘇芳 (はなずおう) | |
少し前は、桜や桃の花で、見沼田圃全体がぼうっとパステルカラーでした。 見沼田圃の花の季節は、県立高校で共に学ぶことを拒否され、 中学浪人を強いられた障害のある生徒達の記憶と結びついています。 もちろん、合格し、卒業していった生徒達もたくさんいるのですが、 また不合格を許してしまったという悔しさが、見沼田圃の花のイメージにつながっているのです。 |
2月7日、TOKO主催で行ったゆみ幼稚園の園長先生・鈴木一義さんの講演のあらました。
視覚障害の子を、足をひっかけて転ばせた子の話が書かれています。
先生が障害について、関わり方について、話をしてくれたけれど、
ほんとうにそうなのか、その子は自分で試してみたのでした。
ほんとうに転んだことで、卒園するまで、いすを運んだりお手伝いをしたといいます。
(鈴木先生の講演の全記録は、別途パンフにします。)
私たちが求める生活は、障害について理解のある人々に囲まれ、支援の行き届いた生活ではありません。
あたりまえのこととして、一緒にそこにいるから、いやおうなく足を出し、
手を出して、たしかめ合わざるをえないような関係の中にいることを求だから、
学力がなくとも、しゃべれなくても、「どの子も地域の公立高校へ」なのです。
そして、たとえ雇用・就労対象からははずされていたとしても、
雇用・労の場である職場に、訪問、見学、体験、実習、施設外就労、
グループ就労など、あらゆる形をとって入り込んで一緒にいる「職場参加」なのです。
支援に囲まれた生活をめざすのではなく、あたりまえに学校・職場・地域にいることを進めるために、
そしてい続けるために、いることを共有するために、支援を活用できるようにしましょう。
なんのために、支援をつくってきたのか、私達は問い直す必要があります。
TOKO NO.153 2009.4.10
ど子も地域の学校へ!公立高校へ!東部地区懇談会
連絡先・Tel 048(737)1489
ホームページ: http://members.at.infoseek.co.jp/TOKOnews/http://members.at.infoseek.co.jp/TOKOnews/TOKO.htm
「堂々と胸はって共に生きよう」(あゆみ幼稚園園長・鈴木先生)
育ち合い・育て合いの草分けがいま熱く語る――2月7日(TOKO講演会)
(お話の概要)
70歳を過ぎているので園長をやめるつもりだったが、
後縦靭帯骨化と線維筋痛症という二つの病気で、障害を負ってしまったため、
こういう体になったからやめるというのでは共に生きようと言ってきた自分の考えに反すると思い、続けている。
40年前にあゆみ幼稚園を作ったとき、人間として生まれてきた子供は、障害があろうがなかろうが全て受け入れようと、
若い先生達と話し合った。
ある時、目の見えない一美ちゃんが明かりを頼りに歩いているとき、男の子が足を出し、
一美ちゃんはが言っているように目が見えないんだろうかと思って、足を出した。ほんとうに見えないんだと知って、
その子は一美ちゃんが卒するまで、いす運びとかお手伝いをした。転んでしまった。
その子は、一美ちゃんはほんとに先生達
足に障害があり家で過ごしていた子どもは、最初笑顔がなかった。
先生が声をかけても変化がなかったが、子どもたちが入れ替わりそばに行って、○○くん、と声をかける。
返事が返ってこなくても、声をかける。大人だと、返事がないと、次の言葉が出てこない。
子どもはたくさんいるから、次から次へといろんな子どもたちが声をかける。
大人が食事を食べさせようとすると拒否するが、子どもたちがスプーンで食べさせようとすると、喜んで食べるようになった。
学校とは何を学ぶのか。2+2が4になるとか、この字はなんなのかという知識だったら、家庭でもできる。
あるいは、訪問教育として、家に来てもらって教えてもらうことだってできる。
けれど、ほぼ同じ年齢の子どもたちがみんな集まって、相互に刺激し合って、心を育てていく、
学校とはそういう場所だと理解していただければ、どの子もも受け入れたくなるはずなんだ。
今年4月から学習指導要領が変るので、文科省が各ご家庭に「生きる力」という冊子を配っている。
私は、「共に生きる力」とてほしい。
健康な人達でもひとりで生きていけるのかといえば、身の回りのことはできるだろうが、心は育たない。
昔、障害があるとか、他と違いがあると、種族が違うとか、悪魔に取り付かれているのではといって、差別した。
科学文明が発達しても、さまざまな差別がある。
障害者差別もその一つ。
文部科学省が進めている特別支援教育の推進のために、知的の発達の遅れとか、
発達障害の早期発見をということで、いろいろ言ってきている。
幼稚園への指導資料にも、「こんな子はありませんか?」というのがある。
「他のことに気をとられて着替えがなかなか進まない」、「極端な偏食」、
「持ち物をよくなくす」……こんなことは、大人にもよくあること。
人は雑穀米。16種類とかある雑穀米を播いたら、16種類の芽が出る。100人いれば100通りの生き方がある。
幼稚園、小学校、中学校、高校、あらゆる場面で共に生きることを大切にしていかないと。
どこかで分けていくと、お互いに違った人種のようなまなざしで見るようになってしまう。
聴こえる・聴こえない、話す・話さない、そんなことは関係なく、共に生きていくために何ができるか、
お子様をお預かりしたときに、そこから考えていけばいい。
日本人が一番得意な言葉、万が一という言葉。万一っていうのは、万分の一の話。
そのことにおびえて、校長先生も教頭先生も、ああでもないこうでもないと理由をつけて、拒否しようとする。
先生に、万一のことがあったらどうしますって言われたら、万分の九千九百九十九は大丈夫なんで受け入れてくださいと、
堂々と胸を張って、普通小学校、普通中学校、高校、そして社会に出て、共に生きていきましょう。