mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

ひょんなお誘いが空気を入れた

2024-04-21 05:26:07 | 日記
 堺市に住む弟から「いつ高野山へ行きますか?」とメールが来た。あっ、そうだ。それもあったと、気がついた。四国のお遍路をすべて終えたのは昨年の11月。その時は春になったら高野山へ行って、「結願」をしてこようと考えていた。
 ところが、年が明けて恒例のホルター検査をしたことでペースメーカーを植え込む必要があると医師に奨められ、2月に手術入院した。術後2~3ヶ月は激しい運動をしないようにといわれていたこともあって、それなりに慎重に過ごしてきた。それでも山へ行けるようになり、夏の北アルプス縦走を考えて、ぼちぼちトレーニングを計画して始めようと考えていた。
 そこへ弟からのメールであった。そうだ、高野山を忘れていた。去年のお遍路終結を知った弟とその連れ合いが、高野山へ行くときは一緒に行くよといってくれた。彼らは堺市に住み、高野山は謂わばホームグラウンド。高野山へ歩いて登るのなら、こんなルートがあるよと弟の連れ合いが「資料」を送ってくれた。軽く目を通し、春になったら行こうと思い「資料」は書架に置いたままにした。
 十年前に末弟が亡くなったあと、兄二人と一緒に大峰山に登り、その流れで高野山に行った。そのとき堺市の弟夫婦が高野山で合流し、みなで末弟の供養をし、高野山の奥の院御廟まで歩いた。その広さ、壮大さ、奥の院の荘厳な気配、その道々の墓所には歴史上の人物の墓があり、でもほんとかなと思うような人物のものもあって、高野山それ自体が、千数百年の歴史的遺産だと思ったが、同時に、その時歩いたのはほんの一部とも思っていた。
 そして弟のメールをもらい、5月に行こうと思い立って「資料」に目を通し、高野山へは一緒に行くよというカミサンとも打ち合わせて日程を決めた。そのプランをメールで弟に送り、一緒に行動できる日を打ち合わせ、宿も確保して合流することにした。プランニングをしているともうそこへ半分脚を運んだような気分になる。それと同時に、高野山の麓に九度山があることに気づき、真田幸村の幽閉された地とわかり、そこに宿を取ることにした。また高野山の核心部に入れない女の人がその周囲をぐるりと上がってきた七つの女人堂跡をすべて辿り、高野三山を含めて一回りするコースがあった。ここを巡ると高野山をほぼすべて歩いたことになるように思う。
 九度山も宿も、高野山上の宿も、まだひと月も前であるのに、ほぼいっぱいになっていた。一つは電話で申し入れたとき、電話申し込みの部屋はいっぱいと言ってネット枠を調べ、一部屋だけ空いているからネットで申し込んでくれと言われ、何とか確保できた。十年前に泊まった宿も、倍近くの値段になっていたのは驚きであった。またネットのガイドには長い英文の予約ページがあり、外国人の参詣が多いことを伺わせた。
 さて、そういうわけで、山へ行く予定であった土曜日は家で過ごし、ちょっと曇りがちの今日、日曜日に出かけることにした。少し涼しいと言うから、山歩きには好都合かも知れない。高野山の計画を立てたことで、何だか山へ行く気合いがグンと入ったように感じる。ひょんなお誘いが、空気を吹き込んだ。歳相応なことなのかどうかわからないが、おもしろいと思う。
 ではでは、行ってきます。