mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

やってきた台風

2024-08-16 13:34:27 | 日記
 ひょっとしてと予測していた台風が、やってくる。12日にはまだ熱帯低気圧であった。だが民放のTV番組ではすでにその日に、日本の気象庁だけでなく、アメリカやヨーロッパ、インド?の予報を交えて、進路予報をしていた。最悪の場合、関東を直撃して北西へ進路をとる予報もあったから、ほんのちょっと模様をみた。今言えば、何とも予報の精確なこと。海水温を調べて台風が強まってくることまで報じている。
 こうして台風を迎えてみると、衛星による気象情報の収集をはじめとして、いかに先端的な技術のお陰を蒙っているか、ひしひしと感じる。加えて、それを子細に報道するメディアの存在。もしこれがTVのない離島暮らしだとしたら、準備はおろか、やってきた事態に大慌てで対処するしかない。もし出かけていたりしたら、何としてでもわが身の安全を確保しなければならない。
 今もTVをみて、停電している千葉は大変だなあ。いつだって台風の通り道だし。それに比べると埼玉は災害が少ない。関東平野の真ん中で、大水が出たり竜巻に襲われたりしているけど、それほどの大騒ぎにならない程度に収まっている。そんなことを考えていて、なんだこれは、まるで「翔んで埼玉」じゃないかと笑ってしまう。
 ははは。平和に暮らしている。平和ってのは、いろいろと世の中のお世話になっていることに気づかず、わが身が幸運に包まれて人生を送っているとおもっている状態。平和ボケって揶揄う人がいるけれど、ウクライナやガザをみていると平和で何がワルイと居直っている。やっと八十路爺の歳になって、COVID-19に出喰わしたりロシアのウクライナ侵攻をみて、私の生きてきた、この八十年余が、むしろ稀有なんだと思うようになった。
 戦中の生まれ戦後育ちは、混沌からスタートしたと言っていい。貧しいのも人の性が荒んでいるのも当たり前という世の中だったと、後の世と比較して思う。いやそれは、言い過ぎか。そういう人も一杯いて、混沌の中をくぐり抜けるようにして生きていかねばならなかったと、父母や兄を思い出している。だから、1960年代から70年代にかけての高度経済成長(のもたらした変化)には驚いたし、自分の生活の変化にも実はおどおどしていた。こんな暮らしをしていいのかとしばしば思ったものだ。
 貧乏には強いよ。たぶん災難にも耐えられる。根が貧乏性だから、お金を掛けないで暮らす分には、適応性が高い。腹が減っても戦はしたことがないし、戦をする気がそもそも、ない。ケンカは嫌い。殴り合いは考えただけで、怖気がふるう。殴るって体感に私の腕は縮み上がってしまう。平和ボケに育ってしまってきたから、今さらそういう場に引きずり出されて、さあ戦えって武器を持たされても、力を入れることがデキないと思う。
 そういう具合だから、台風にも直に向き合って対処せよと言われても、たぶん何もすることができず、おろおろとわが身を護る一番安直な方法をとって、身を潜めているしか能がない。だらしないなあと、友人に愛想を尽かされたこともある。そうなんだよ、威勢良く身体を張って敵に立ち向かうっていう勝負事が何より嫌いであった。賭け事もイヤ。
 せいぜい自分と戦うスポーツくらいしかできなかった。だからか、山登りには夢中になった。そうして気づいてみれば、歩くしか能がないワタシの人生。そういえば日々PCに向かってやっている自問自答も、ワタシと向き合って、私の不思議と格闘しているようなものだね。
 いやはや、なんともだらしのない私の人生。いずれクソ爺になる。あっイヤ、九十路爺になるまで生き恥をさらしてふらりぶらりと命を繋ぐか。
 風に吹かれて~というボブディランの歌があったなあ。台風に吹かれては、イタそうだなあ。

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