mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

桜づくしに身が笑う

2024-04-14 09:56:43 | 日記
 オモシロイ山歩きであった。奥武蔵の土曜日というと人のにぎわいが煩わしいくらい。かつてなら近づくべからずと思っていた。でも思い立ったが吉日と、家を出た。リハビリ中の身が遠ざけていた山歩きを始めて二月目。奥日光を歩いてからもうひと月になる。
 メルマガに載っていた「一徳の一本桜」というのに興味を引かれた。というより、平地の桜は足早に終わったから、山の桜ならまだ見頃かとも思い、脚を運んだ。
 意に反して、メルマガルートは静かであった。登りの大松尾根の途中で山菜採りのご婦人一人に出会っただけ。大松山を超えて1時間半、一徳へ向かう西へのルートに入ってしばらくして、やっと向こうからやってくる一人とすれ違ったというほど。
 大松ルートは地図に記されていない。もしメルマガを見ていなければ登り口の見当もつかなかった。掲載された地図を細かくみて、通りを右へ左へと登り口へ辿る。ここかなと見当を付けて作業道を稜線へ向かう。行きすぎてしまって引き返してみると、稜線に取り付く石段が降り積もった土に蔽われてあった。そこから先にもそれらしいルートはない。かすかな踏み跡を探りながら辿る。木の根に脚を踏みとどめる急登。樹林の中を標高差150mほど登ってやっと稜線に乗った。357mピーク。「丸山357m」と木の幹にかまぼこ板のような表示がかけられている。歩き始めてから約50分。そこから少しばかりのアップダウンを繰り返して登ること30分、高圧送電鉄塔のある大松山468mにつく。樹林が切り払われ野苺の白い花が咲き乱れている。棘がついていて抜けるのがいやだ。傍らの倒木を踏み越える。
 その向こうで山菜を採っているご地元の婦人に出会った。蕨がいっぱい入ったビニール袋を片腕に下げている。この大松尾根は急登で大変だったでしょうと話す。この上の通りへ抜けると人が多くてねとも、いう。顔振峠を通る奥武蔵山稜を縦貫する車道が走っているのだ。
 一徳は「いっとこ」と読む。稜線上西に寄ったところの字である。山稜の車道と併行するように山腹を辿る道を歩いて西吾野に下る舗装車道に出て少し登る。陽ざしが気持ちいい。道道の桜が花びらを散らして足元を飾り、菜の花の黄色とミツバツツジの紫がかった濃い赤色がポイントとなってサクラの儚そうな淡い桜色と草木の緑が見事な春色の饗宴をつくりあげる。一つの角を回り込むと正面に大きな一本のサクラが道の端境を区切るようにどっしりと立ちはだかっている。傍らにある小さなベンチが、何やら由緒ある木だと告げているようであった。車道はそこでまた大きく曲がって上へ延びている。樹と反対側の斜面上に少し広い草地があり、一人腰を下ろしてサクラを眺めているアラサーの女性がいた。この上へ上がって見下ろすサクラが、またひと味違っていいですよと言う。礼を言って、上の車道へのショートカットルートを辿る。車道には二台車が止まっていて、カメラを構えている。スタートしてから2時間5分。いいペースだし、ここから折返してもいい時間のコースだ。
 なるほど、上から見下ろすと、一本桜の満開がいっそう大きく広がるようにみえる。さらにその向こう南遠方の奥武蔵の山々、多摩の山脈、さらにその南の丹沢の山々が少し霞むように紫がかった色合いの峰を列ねている。サクラはほんの一本でも、巨木は大きく枝を広げ、土を蔽うように、花をつけると存在感を誇示する。見栄えが素敵だ。下の方の畑や他の木々、彩りを変える花をつけた樹木も、遠景との端境を見せずまるごと「借景」という風に、このサクラを引き立てている。「いっとこのいっぽんざくら」という名前も、いかにも名所ですよと謂わんばかりに思えて好ましい。
 サクラの樹に向き合った草地に座ってしばらく花見をしながらビスケットを頂く。ときどき吹く風にハラハラと散る桜の花びらが、そこに佇むだけで十分よと謂わんばかりの自己主張しない楚々たる存在感を感じさせる。儚いという言葉の響きにも、哀しさや侘しさの感触はなく、よれよりも軽く潔いこだわりのないからっぽさを感じさせて好ましいのかなと思う。自転車で登ってくる一団もいて、ここが名所になっていることを知る。
 大松山からの合流点に戻り、やはり地図にない上への踏み跡道をとる。GPSがスマホに現在地を示してくれるから、おおよそどこにいるか、どちらへ向かっているか見当がつく。しばらくして上から6人ほどの若い男女トレイルランナーが走り降りてくる。それでこの道が上の車道に抜けていると確信する。
 舗装車道に乗る。Yamapのポイントには「絶景」と記してあるが、いやいや一徳には及ばないと思う。でもその先、顔振峠手前のソメイヨシノとその下のしだれ桜、さらにその先のミツバツツジなどが見事な色合わせをお愉しみくださいというように美しい。行き交う人たちは立ち止まりカメラを構える。自転車の人や車はそそくさと通り過ぎるが、歩くことの良さを感じさせる。
 平九郎茶屋と表示した顔振峠に着く。11時。メルマガにはこの店の肉蕎麦がうまそうに写真にあった。そうだ、肉蕎麦でも食べながらお弁当を広げてお昼にしようかと立ち入る。女主人が忙しくお客の相手をしている。「蕎麦を頼んで手持ちの弁当を広げてもいいか」と尋ねる。と、「イイともワルイともいえません」とつっけんどん。「いや、失礼しました」と外へ出る。店のすぐ脇に下山道へ入る石段があった。そちらへ踏み込み、1分も行かない樹林の傍らにテーブルを設えたベンチがあった。お昼にする。
 座ると正面左の樹林の中に大きな御堂がある。下山道が正面を抜けその先にサクラの大木が陽ざしを受けて目を奪う。手前右の巨木がつくるこちらの暗さと対照的なサクラとその下方に見える草地や花木が、一齣の切り取った絵のようにみえて、これまた、見事な眼福に浴する。目の前を登る下る人びとも、そのサクラのところで立ち止まり、しばらく佇み、カメラを構え、ベンチで食事をしている私に気づくと、張りのある声で挨拶をして通り過ぎてゆく。
 再び舗装車道に出て東へ辿る。林道が屈曲するところで、育代山の稜線へ踏み込む。ここもまた地図には記されていない。稜線の上への踏み跡がある。右を回る、それよりも少し鮮明な踏み跡もみえる。左へはこれはハッキリ林道と分かる道。はて、とスマホをみる。と、Yamapの地図にはオレンジ色のポイントが打ってある。それをクリックすると「迷いやすい。吾野駅へは左の道を進む」と表示が出る。ほほう、こんな機能がついているんだ。そちらへ進む。なるほど曲がって稜線に沿っていると分かる。大きく屈曲する地点に出る。尾根を越えて戻る? まさかとスマホの地図を覗く。またポイントがある。クリックすると「左の細い道へ進む。迷いやすい」とある。「お役に立ちましたか」と応答を求めている。ふむ、と思ってひとつ推す。
 「育代山399m」もかまぼこ板の表示であった。11時35分、昼食後20分しか経っていない。メルマガの山行記録では「木から木へ下っていた育代山、最近は道になった」と書いてあったが、慥かに、急斜面は滑らないように樹木に摑まり、伝うように下る。でもすぐに緩やかとなり、稜線上を辿るルートが続く。やがて車の音が聞こえる頃に、降りが急になる。すぐに民家の屋根が見え、背の高い萱を掻き分けた道に踏み込み、石段に出遭って舗装車道へ降り立つ。12時10分。高麗川に沿って北へ進むと今朝吾野駅から辿った道に合流する。吾野駅着12時30分。歩き始めてから4時間45分。メルマガ山行記録の人は4時間5分とあったから、(一徳のサクラ休憩とお昼、合わせて25分を除くと)八十爺の歩行タイムとしてはまずまずであろう。
 5分も待たず電車がきた。気分良く乗り換え、秋津の乗り継ぎ途中でお店に立ち寄って生ビールと餃子で下山祝いをして家へ帰る着いたのは14時40分。ご機嫌であった。
 ところが、久々の山行に身体が喜んだのか、身が落ち着かない。本を読んでいても、続かない。TVは観る気にならない。新聞を読んでも長い記事を読む気にならない。うん? なんだ、これは? と思う。
 たぶん、まだまだ歩きたいような気がしていた。でもなあ、せめてこのペースを週1でつづけて、やがて泊まり山行でどこかを縦走するようにゆっくりと身体を慣らしていかないと、たぶんいつか破綻する。そう思って、我が身を宥めている。筋肉痛や疲労が何日目にどう表れてくるか。それをみて、我が身の調子を見極めなければならない。