図書館に予約していた、森永卓郎『ザイム真理教――それは信者8000万人の巨大カルト』(三五館シンシャ・フォレスト出版、2023年)を読んだ。開けっぴろげにいろんなことにコメントする街場のオジサンという経済評論家。いやそれだけじゃなく、ミニカーやおもちゃの収集家というオタクであり、子どもの頃の好奇心を抑えきれないほど身にまとったまま大きくなったTVでお馴染みの方。思っていることを何憚ることなく口にする憎めない庶民派タレントといおうか。今年の初め頃だったか、癌になったと公表して闘病生活に入り「桜は観られないだろう」とお喋りしていた。
その彼が上記の本を出したことは聞いていたし、頑ななエリート官僚の総本山・財務省の権力の秘密を暴く本だなと見当をつけただけで、読む気はなかった。ただその本の出版を引き受けるところがなくて、やっと三五館シンシャが出してくれることになったと、どこかのTVかラジオで喋っていたのを聞いて、図書館に予約したのであった、か。
つい先ごろ日銀がマイナス金利からプラス金利へ舵を切ったことに対して、元日銀副総裁・岩田規久男が「何を焦ってるんだ」とコメントしたことを、このブログ(2024-03-24)「庶民感覚との境目」でとりあげた。その時岩田が記していた三つの潮流「①財政均衡規律派、②リフレ派、③MMT派」の、庶民派・森永卓郎はどこに属しているんだろうと興味が湧いたのでもあった。
森永は自らMMT派と自称している。岩田が「おかしな人たちと呼ばれている少数派」というのが、いかにもという感じでおもしろかった。
この本そのものは、至極真っ当に統計データを上げて財務省が(日本財政の巨大な赤字という)危機感を煽り、それを与野党問わず政治家にも吹き込んで、財政均衡規律を守ろうとしていることを批判している。経済の何たるかを知らない財務省が、財政赤字を何とか食い止めてバランスをとろうとすることが、1990年代に入ってからの「失われた30年をつくってきたと口を極めて非難している。
おもしろかったのは、安倍や菅、岸田という宰相の財務省との立ち位置関係がよくわかったこと。ついで安部政権時代の森友学園への国有地払い下げの首謀者とそのワケがほぐされて読み取れたこと、岸田政権の現在の増税への道がザイム真理教の意図するものであったことと、おまけで説き明かされることが沢山あった。
だが待てよと、立ち止まる。戦中生まれ戦後派世代の私たち市井の民にとっては、財政均衡規律というのは、当然好ましいというか、堅実に暮らす庶民にとってあたりまえのことである。ない袖は振れないというが、預貯金をまったくもたない庶民が借金をしたり、月賦やローンを組んで暮らすのを1960年代辺りから目にして、果たしてこれでいいのだろうかと気遣ってきた。庶民派の森永卓郎がなぜそれに鬱憤をぶつけるのであろうか。
デフレ克服の方法を考えねばならないときに「財政均衡」を主張するのは間違いだと言っているのであるが、庶民感覚でいうと、でも財務省がそう言うのは仕方がないだろうと、司司の役割を考えて思ってしまう。森永のように景気刺激策を提起するのは経済産業省の役割ではないのか、と。森永は十分そう言うことを承知しているにもかかわらず、「ザイム真理教」とまで呼ばわって非難するのは、経産省も財務省に頭を押さえられているからだ。つまり財務省が財布の紐を締めるのは、お役目に名を借りた省益を堅持・顕示する横暴。財務省の政策目的がまったくデフレの克服も庶民の暮らしもみていない。細かく言うと省益だが、大きく全体を見ると、国家公務員とか財務省の応援団である、政治家と財界とお金持ちの利益を優先しているからだと、本書を読むと読み取れる。
そうだねと読み進めると、森友問題の発端である国有地のべらぼう払い下げも、財務省の上級役人が安倍晋三に恩を売るつもりか、ひょっとするとそれが露見して安倍宰相を罠に嵌めるつもりの奇策だったのじゃないかと、思ってしまう。アベノミクスが財務省の頭を押さえて遂行されたと本書が説き明かしている。結果的には、財務省は安倍をかばいきり、安倍は財務省をかばいきって大団円を迎えたというデキ勝負だった。だがその田舎芝居関係がもたらした政治家の堕落ぶりと日本のシンクタンクと謂われてきたエリート官僚の腐り方は、ほんとうに(日本の)「失われた30年」を象徴するものとなった。
なぜ財務省が(官僚組織の中でも)かほどに強い権力を持つのか。財布を握っているからである。加えて財務省の役人たちのやることはことごとく匿名である。表に名が出るのは政治家。財務省の官僚たちには何か拙いことや悪いことをしていると自覚する契機がない。どんな政策も、カネが動かなくては動きださない。これもクールに見つめ直せば、いかにも資本家社会的な流路に馴化されている。ことに政治家がカネにしか眼が行かないから、万博や五輪やイベントを実施することが政治の基本のように思っているのではないか。
その彼が上記の本を出したことは聞いていたし、頑ななエリート官僚の総本山・財務省の権力の秘密を暴く本だなと見当をつけただけで、読む気はなかった。ただその本の出版を引き受けるところがなくて、やっと三五館シンシャが出してくれることになったと、どこかのTVかラジオで喋っていたのを聞いて、図書館に予約したのであった、か。
つい先ごろ日銀がマイナス金利からプラス金利へ舵を切ったことに対して、元日銀副総裁・岩田規久男が「何を焦ってるんだ」とコメントしたことを、このブログ(2024-03-24)「庶民感覚との境目」でとりあげた。その時岩田が記していた三つの潮流「①財政均衡規律派、②リフレ派、③MMT派」の、庶民派・森永卓郎はどこに属しているんだろうと興味が湧いたのでもあった。
森永は自らMMT派と自称している。岩田が「おかしな人たちと呼ばれている少数派」というのが、いかにもという感じでおもしろかった。
この本そのものは、至極真っ当に統計データを上げて財務省が(日本財政の巨大な赤字という)危機感を煽り、それを与野党問わず政治家にも吹き込んで、財政均衡規律を守ろうとしていることを批判している。経済の何たるかを知らない財務省が、財政赤字を何とか食い止めてバランスをとろうとすることが、1990年代に入ってからの「失われた30年をつくってきたと口を極めて非難している。
おもしろかったのは、安倍や菅、岸田という宰相の財務省との立ち位置関係がよくわかったこと。ついで安部政権時代の森友学園への国有地払い下げの首謀者とそのワケがほぐされて読み取れたこと、岸田政権の現在の増税への道がザイム真理教の意図するものであったことと、おまけで説き明かされることが沢山あった。
だが待てよと、立ち止まる。戦中生まれ戦後派世代の私たち市井の民にとっては、財政均衡規律というのは、当然好ましいというか、堅実に暮らす庶民にとってあたりまえのことである。ない袖は振れないというが、預貯金をまったくもたない庶民が借金をしたり、月賦やローンを組んで暮らすのを1960年代辺りから目にして、果たしてこれでいいのだろうかと気遣ってきた。庶民派の森永卓郎がなぜそれに鬱憤をぶつけるのであろうか。
デフレ克服の方法を考えねばならないときに「財政均衡」を主張するのは間違いだと言っているのであるが、庶民感覚でいうと、でも財務省がそう言うのは仕方がないだろうと、司司の役割を考えて思ってしまう。森永のように景気刺激策を提起するのは経済産業省の役割ではないのか、と。森永は十分そう言うことを承知しているにもかかわらず、「ザイム真理教」とまで呼ばわって非難するのは、経産省も財務省に頭を押さえられているからだ。つまり財務省が財布の紐を締めるのは、お役目に名を借りた省益を堅持・顕示する横暴。財務省の政策目的がまったくデフレの克服も庶民の暮らしもみていない。細かく言うと省益だが、大きく全体を見ると、国家公務員とか財務省の応援団である、政治家と財界とお金持ちの利益を優先しているからだと、本書を読むと読み取れる。
そうだねと読み進めると、森友問題の発端である国有地のべらぼう払い下げも、財務省の上級役人が安倍晋三に恩を売るつもりか、ひょっとするとそれが露見して安倍宰相を罠に嵌めるつもりの奇策だったのじゃないかと、思ってしまう。アベノミクスが財務省の頭を押さえて遂行されたと本書が説き明かしている。結果的には、財務省は安倍をかばいきり、安倍は財務省をかばいきって大団円を迎えたというデキ勝負だった。だがその田舎芝居関係がもたらした政治家の堕落ぶりと日本のシンクタンクと謂われてきたエリート官僚の腐り方は、ほんとうに(日本の)「失われた30年」を象徴するものとなった。
なぜ財務省が(官僚組織の中でも)かほどに強い権力を持つのか。財布を握っているからである。加えて財務省の役人たちのやることはことごとく匿名である。表に名が出るのは政治家。財務省の官僚たちには何か拙いことや悪いことをしていると自覚する契機がない。どんな政策も、カネが動かなくては動きださない。これもクールに見つめ直せば、いかにも資本家社会的な流路に馴化されている。ことに政治家がカネにしか眼が行かないから、万博や五輪やイベントを実施することが政治の基本のように思っているのではないか。
でも、そこで動くカネの流路に庶民はほぼ縁がない。庶民に縁のあるのは身体を動かすコトや手作りのモノを上げたりもらったりする贈与互酬。カネを使わず労苦を払ってつくったコトやモノがヒトの気遣いを感じさせて有難いという関係に生きてきた。
おっと話が逸れた。
おっと話が逸れた。
経産相が如何に効果的な景気刺激策を提起しても、予算が付かなければ机上の空論。その端境を破ってシンクタンクを有効に起動させるのが政治家であるが、彼らもまた、財務省のあれやこれやのレクチャーを受け、日頃からピッタリと互いに寄り添うように関係が築かれている。その長年の蓄積を「ザイム真理教」と名付けることで、心の奥底まで切れない絆が紡がれて結びついている、カルトと同じと、あれやこれやの事実をパッチワークしながら森永は告発しているのである。
庶民の財布感覚では追いつけない景気刺激策をMMT派の森永卓郎は主張しているのである。
庶民の財布感覚では追いつけない景気刺激策をMMT派の森永卓郎は主張しているのである。
えっ! MMTって、M(また)M(もりなが)T(たくろう)って、略なの? 知らなかったなあ。
そうだ、この本の中で森永自身が、自分の主張の一つの根拠にしながら、でもどうしてなのだろうと不思議に思っている事実が、あった。
そうだ、この本の中で森永自身が、自分の主張の一つの根拠にしながら、でもどうしてなのだろうと不思議に思っている事実が、あった。
それは、COVID-19対策で湯水のように支出した何十兆円という経費である。いや日本国内にとどまらず世界ではとんでもなく多額の緊急出費だったわけである。これにはどの先進大国の財務省も文句を言う術もなく応じたのであるが、あの、全き赤字の支出が(財政均衡派のバランスからすると)どれほどのハイパーインフレを引き起こし、世界経済を混乱に陥れるかと懸念されたけれども、いったいあのカネは、どこへいったのでしょうね、と森永卓郎さんも疑問を呈している。
何もなかったかのように、消えてしまった。ごく一部の製薬会社は笑いが止まらなかったでしょうが、それよりもその多額の出費が引き起こすはずの経済的混乱は欠片もみえず、いまCOVID-19のウイルス感染などなかったかのように世界は、我欲のぶつかり合いに夢中になっている。ほらご覧、MMT(中央銀行が自国通貨の発行権を持つ限り、財政は破綻しないとして、完全雇用と適度なインフレを実現し、そのバランスを図っていくのを良しとする、最新の少数派)が正しかったってコトじゃないと、森永卓郎は「冥土へ旅立つ前の置き土産」を置いたのかも知れない。
そんな埒もないことを考えながら、でも彼の集めていた「おもちゃ」ってどんなものだろうとネットで「森永卓郎」と検索したら「森永卓郎 死去」という項目が並んでいるのにぶつかった。
えっ、彼ほんとうに死んじゃったの! と驚いた。記事を子細を読むと、昨年末にガンを公表したということしか書いていない。春を待たずに彼岸に渡るかもという彼の発表を「死去」をキーワードに記しているだけであった。いやいや、そんなに急がないでね。
そんな埒もないことを考えながら、でも彼の集めていた「おもちゃ」ってどんなものだろうとネットで「森永卓郎」と検索したら「森永卓郎 死去」という項目が並んでいるのにぶつかった。
えっ、彼ほんとうに死んじゃったの! と驚いた。記事を子細を読むと、昨年末にガンを公表したということしか書いていない。春を待たずに彼岸に渡るかもという彼の発表を「死去」をキーワードに記しているだけであった。いやいや、そんなに急がないでね。