mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

やつらはそもそも人じゃないんだ

2024-08-17 05:44:00 | 日記
 表題のような台詞を読んで、読み進めるのが止まってしまった。読んでいるのはジェイムズ・クロフォード『国境と人間――文明誕生以来の難問』(河出書房新社、2024年)。今、3分の1ほどのところ。第二部の4「壁を築く」。エルサレムを訪れている著者・スコットランドの歴史家が、お目当ての方、バハ・ヒロに出逢ったときに、彼が喋った言葉。

《人びとを物理的に押し出すわけだが、手始めにやることはそれではない。まずは人間を精神的に押し出すことだ。違うかい? 人から人間性を奪い、それからクズのように扱う。その日の終わりには、こう言うようになる。「まあ、ヤツらはそもそも人じゃないんだ」》

 じつは、これとおなじ台詞を、去年の戦闘が始まったころに私は感じ、口にした。2023-12-24のこのブログ。「人動説が世界をささらほうさらに」で、こう記している。

《イスラエルも、ホロコーストを経験させた戦後秩序の中で欧米の勝手な思惑を受けてパレスティナに本拠を構えることになった。パレスティナ、就中ガザの人たちをアパルトヘイトのようなところに閉じ込めて知らぬ顔をしてきたことが今回の起因だと考えると、欧米もイスラエルも我がこととして責任を負わねばならぬことなのに、人道と人命の尊重という空言しか口にできない》

 そうか、このときはまだ、ハマスの奇襲に対応するというイスラエルの立場にいくぶんの理を認めようとしている。ただそのやり方がひどすぎる、と。当事者でない私が、どういう立場でイスラエルを、あるいはハマスを批判できるのかと躊躇いながら、WWⅡにおけるユダヤ人虐殺の悲哀を知っているだけにイスラエルに対する同情もあったと、今、身の裡を振り返っている。
 パレスチナの棲んでいたところを押しのけてイスラエルが建国したというそもそもの発端で、欧米の諸国に理不尽さを感じていたのは、私の知意識。世界大戦期におけるイギリスのバルフォアとマクマホンの秘密協定。むろんそれにイスラエルの政治力も加わって、植民地であったパレスチナはいいように遇われた。理念を押しのけて進められる国際関係の力の政治に、理念の空洞化を嘆くような論調は、その思考手順そのものが、もはや空洞化していたと、いま思う。
 それについてクロフォードは19世紀からの成り行きをおさらいして、

《1947年11月27日に、国連総会はパレスチナをアラブの国とユダヤの国に分割して、エルサレム市は国際管理のもとに置くことを投票によって決めた》

 と、国境線が引かれたことの起点を取り出す。その国境線が地図に色鉛筆でざっと引いたずぼらなものであった。イギリス軍が撤収すると内戦が勃発した。

《集団虐殺や残虐行為が各地で起こり、村は破壊され、人びとは自分たちの土地や財産を強制的に手放されるかした。パレスチナのアラブ人口の半数にも及ぶ数だ》

 パレスチナをまるで自国領土のように占領地として浸食していった非道さを象徴するように、冒頭のバハの言葉が吐き出されている。行間には、欧米ソ規準で(イスラエルを援護する)国連が、ほぼ無策であったことを示している。そうなんだ。昨年のハマスの「奇襲テロ」からこうなったのではなく、大国の援護を得たイスラエルが、延々とこうやってパレスチナを浸食し、平然と自国に組み込み、アラブ人を出て行くように仕向けている。パレスチナをアパルトヘイトに譬えているのは、まだ優しすぎた。クロフォードが書くように、(私達が追い出したのではない)「ヤツらは出て行ったのだ」とイスラエルは言いたいのだ。もしイヤなら、パレスチナを援護するアラブ諸国へ行けばいいじゃないか、と。
 これじゃあ、ホロコーストと同じことをイスラエルがやっている。歴史をどこから切り取って、由緒由来を語りはじめるかは所説言い分はあろうが、いまから2600年ほど前に奪われた土地の権利を主張して建国するという荒唐無稽な荒技をやってのけたのは、(ドイツばかりでなく)ヨーロッパの人たちの間にユダヤ人に対する殊更な偏見と、ホロコーストに頬被りした自戒の念が働いたのであろうと私は勝手に理解していた。
 もちろんそれが、現代世界の政治に妥当なものであったかどうかは、敗戦国民のワタシにはワカラナイ。だが、財力と政治力と軍事的な力に依って大国を動かして、好き勝手に振る舞うイスラエルには、すっかりロシアとおなじ侵略国家というか、人でなし国家というレッテルを貼り付けて憚らないことにした。トランプもバイデンもおなじだ。イギリスもEUも同列じゃないか。
 そう、中東の国際政治にどういう立場をとっていいかワカラナイ八十路の爺はぼやいている。

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