mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

人類から離脱して生きるか

2024-04-06 09:04:34 | 日記
 今日(4/6)の文春オンラインに「中国製ドローン、自衛隊の空母いずもを攻撃模擬動画」と報道がある。小型のドローンが横須賀基地に停泊するいずもの艦尾から艦首にかけて通過する画像が流れているという。それがフェイクかどうかをメディアは解析しているのだが、そうか、もう、そういう画像解析の次元で国際的な対立は始まっているのかとワタシは呆気にとられている。
 要するにワタシはもうすっかり世界の埒外にいるんだなあと感嘆した、ということだ。フジTVはそれをフェイクと言い、文春はその可能性もあるがどちらかというとリアルだと受け止めて記述している。画像に修正を施した形跡は見られるが、フェイクとする根拠の風向きと波の揺らぎ具合に不整合が見られるなどを、横須賀基地の山からの風の吹き下ろしなどを考慮に入れて、ありうるかどうかと考察している。うんうん、まるで昔のSF小説を読んでいるような気分だ。
 ただ、それをモンダイにする根拠として、ほんに小型の市販ドローンであっても、空母の小さなレーダーやアンテナを破壊すればミサイルの防護はできないし、探索も不能になる。何も船を沈める必要はないのだとみている。さらには、この小さなドローンが標的に目印を与えそこへミサイルを撃ち込むという戦法がありうるとして、詮索せざるべからずの論拠とする。あるいは、こういう小型ドローンをたくさんまつわらせて、ほんとうの攻撃弾を隠蔽する可能性に触れて、真偽を吟味する必要を説いている。
 ああ、こういう遣り取りを、ウクライナはロシア相手にしているだろうし、台湾も中国相手に詮議するだろうし、イランもイスラエルも、まさしく実戦的なテーマとして取り組んでいる思うと、現代の戦争の様変わりに対応するのは、SF的な想像力を必要とすると思う。
 いやそれだけではない。SF的な想像力というのは、その背景に、想像力をこらす人を擱いている。だが今やそれが、AIまかせになっている部分もあるとなると、理科学的なレベルだけでなく、AIの論脈をきっちりと感知する能力にまで思いを及ぼさねばならないと思ったりする。つまり機能的にしか動いていないはずのAIが、じつは、なぜそう処理したのかを(後から)検証できないことを、人間はどう評価するのかという入り組んだモンダイになる。AI自身が自らを内省的に検証できるなら、後からでも調べようがある。けれども、AI自身がデータの処理速度をべらぼうに早くして、いわば力尽くで無闇に当たってみて、その中の有効性を確認できたモノを用いているというのを、AIの経験則と表現しておこう。その経験則の文法を検証できるかというと、それもできない。ただ沢山のデータを読み込むことで、なにがしかの論脈を読み取り、なにがしかの文法をつなぎ合わせ、その瞬間にだけ成立する筋道がデキタ! ってことで、処理しているとすると、その全体がもうすでに、人間世界にとって一つの「よくわからないゲンジツ」となってしまう。そういう時代に私たちはすでに飛び込んでいると考えた方がいいのではないか。
 それはAIを懼れるとか、AIが人を凌ぐという次元でモンダイを立てるのでは、かかわるポイントさえ見いだせないすれ違いが起こるのではないか。先進各国は、国際会議でAI開発の「倫理綱領」をつくろうと話し合っているというが、ワタシの直観では、なんだかそれでは、ロシア×ウクライナ戦争やイスラエル×ガザ攻撃の事態を見ていると、逆方向へ歩いている人たちという気がする。つまり先進各国の自己満足というか、むしろ恐怖への対処を間違えているように思うのだ。
 人新世という(最近世界の地質学会ではこの言葉を採用するのは否定されたようだが)、人動説時代の人の作法を考えるのは、もっと次元を代えた向き合い方をしなくてはならないと思っている。でもねえ、人類って、とことん行くところまで行かないと懲りない性分をもっているから、滅びる直前まで行って、気がつくと猿の惑星になっていたってことしか道はないのかも知らないね。
 だったら、ワタシは人類から早々と退却して、世界の片隅の小さなムラに住むヒトとして自活する方へ舵を切るのが賢いのかなあと想像力を働かせている。