mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

うそぶく

2024-04-29 08:43:37 | 日記
《お上のことは知らんよワシら》と昨日(4/28)嘯(うそぶ)いた。お上のことというのは《文化人類学者・松村圭一郎の「最悪の選択」は、まだ統治機関止まりだから何とかなるか》と(何かを)期待している素振り。いったい何を期待していたんだろう。
 今朝の新聞を見ると、衆院補選三つで立憲候補が三勝したとある。3日間船旅へ出かけていたカミサンが見出しを見て「リッケンが勝ってる」と声を立てる。
 朝日新聞は立憲好み。宮沢喜一らを持ち上げて「立憲」の政治理念を再構築しようとイメージしている。その上、「エコ正義」も大好きとあって、共産党の支援も見落としてはいない。もちろん「野党第一党」という枠組みは(報道上の中立性には)欠かせないけど、食い込もうとする「維新」は万博や賭け事IRで稼ごうという魂胆を嫌って、お呼びでない。読売新聞も、さすがに自民党をおおっぴらに応援するほど肩入れはできない。せいぜい「維新」を担ぐくらいだが、これまた言説が軽い。
 結局今の時局を象徴するのは、不戦勝ならぬ負戦勝で、立憲民主党が勝ち名乗りを上げることになった。その程度の事象。だが、これで立憲が政権を担うことに肚を決め、十数年前の失敗を教訓に(党内を立て直し)再起できるなら、ま、期待もしてみようかと思うが・・・。でもねモンダイは、シンクタンクのエリート官僚機構。アベ=スガ時代に腐りきってもはや自壊している気配。それを立て直せるか。しかも国家百年の計を体現してとなると、明治維新の時の薩長政府のような気概がいる。
 世界はすでに、あの時の国際情勢のように先行き不透明な混沌に見える。しかも向き合う「テキ」は、明治維新の時のオウベイのように先進文明だけではない。グローバルサウスという名の後進諸国と混沌の中東、加えて欧米と覇権を争っている当事者の中と(ちょっと)露という面倒な隣人、もっと厄介な北朝鮮という核装備国もある。
 もっと面倒なのは、日本がすでに先進国の戦列のフロントに並んだ経歴を持ち、すでに落ち目の中進国となっているのに、まだ気づかないフリをして振る舞っていること。もっとメンドクサイのは、文化的にはすっかり先進文明の前の方にいるのに、統治体質は旧習のままというアンバランスもmてとれる。国際関係に、果たして対応していけるかしらと心配になる。
 いや、日本ばかりではない。台湾もウクライナもEUさえも、民主主義は風前の灯火って気配。経済関係で世界をみていた眺めは、すっかりポリティカルな要素が外側を蔽い、グローバル・エコノミーもまた、企業家たちの気分に色濃く残っているだけで、WTOなんかもはや、それって何をしてるんだっけと、謂われるくらい影が薄い。
 そうかワタシが「ワシャ知らんよ」と嘯いたのは、関心領域を限定したからであった。common landの文化にはcommon peopleとして変わらず関心を注ぐ。「市井の庶民の知見は勝手に興味関心を紡いで広がり深まっている」領域にあるとみて、統治機関の方は、「ワシら知らんもんね」と思っている。でもそんなことお構いなしに、世界の民主主義はどんどん自壊していっている。
 どうして? ITやAIの創っている世界はスーパーフラットだというのに、フラットを基本ベースとしている民主主義がどうして自壊して行ってるんだろう。
 えっ? 自壊ってどこで? 
 象徴的なのは、アメリカ。トランプとそれに振り回されるアメリカ社会とそれに引きずられている世界の動向は、まさしく民主主義の自壊。でも、人びとの関心や傾きが統治者の「懸念」の中にあるということもよくわかる。ヨーロッパの右翼政党の台頭もそれを象徴している。習近平やプーチンが強権的に情報統制して世論を制圧し、批判者を厳しく取り締まるってのも、世の人びとの支持を失ってはやっていけないことを知っているから。「懸念を払拭」するためにしている統治。それ、つまりポピュリズムも「民主主義」よとなると、ワタシの考えてきた「民主主義」が変わってしまって、時代遅れになってるってことじゃないか。
 いまさら民主主義ってこうだよと、17世紀から18世紀のホッブズやロック、ルソーを引き合いに出して説いても、たぶん、学校の授業ですら説得力を持たない。そうか、地動説時代の民主主義は終わり、人動説時代の新たな理念を構築しないとならない地点に来ているんだろうね。
 オモシロイと言えば、面白い。メンドクサイといえば、これまた面倒くさい。でもこれが人類の定めよっていえば、移ろうヒトのクセに結びついて腑に落ちる。
 やっぱりぼちぼちと、根源的に考えて、ヒトってどこから来て何処へ向かっているんだろうと考えるしか道はないかな。