北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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カトリック元町教会

2024-05-23 20:37:42 | 函館

再び西部地区の「王道コース」に戻ります。

第5チェックポイントは、観光名所としても知られるこちらです。

 

 

 

 

「カトリック元町教会」。

横浜の「山手教会」、長崎の「大浦天主堂」と並んで、カトリック系では最も歴史あるフランスの教会です。

「大浦天主堂」は行ったことがありますが、「山手教会」は行ったことがありませんでした。この話題に触れたのをきっかけに、上京するときの観光コースに加えるよう検討したいと思います。

 

 

二つの天主堂 - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

写真の建物は、グラバー園の近くにある、「大浦天主堂」。その歴史は約150年前に遡り、パリ外国宣教会の、フューレという神父が、1863年に、同時期に来日した神父仲...

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こちらの教会は、1859年に、フランス人宣教師「メルメ・デ・カション」が、西部地区にある「称名寺」というお寺に寄宿しながら、布教活動に努めたことが起源とされています。

これが、箱館におけるカトリック布教の始まりでもあり、カションは、布教と同時に外国語を教える一方、自らは日本語とアイヌ語を学んだそうです。

当時の聖堂は木造でしたが、明治40年(1907年)で焼失したことから、レンガ造りとして再建されるも、大正10年(1921年)の大火で再び類焼してしまい、レンガの外壁だけが残ってしまうこととなりました。

それから3年度の同13年(1924年)、レンガの上にモルタルを塗る耐火建築様式で、現在の建物が建築されています。そうです、今年は、現在の建物が建築されてちょうど100周年という記念の年なのです。

 

 

館内は入館無料で見学できますが、写真撮影は不可となっていますのでご注意ください。

こちらには、時のローマ教皇、ベネディクト15世から直々に寄贈された祭壇(中央祭壇と、両隣の副祭壇)があることで知られていますが、世界中に無数とも言われるカトリック系の教会の中で、ローマ教皇自らが設備を寄贈することは大変珍しいそうです。

これは、大正10年の大火で類焼してしまったことに、教皇が心を痛めたこともありますが、教皇の日本への関心がそれくらい高かったことの証とも言われています。

祭壇の他には、「十字架の道行き」と言って、イエス=キリストが死刑を宣告されてから埋葬されるまでの様子を表現した14枚のレリーフも、同時期に寄贈されたそうです。

 

 

 

聖堂の隣には、「天主公教会」と掲げられた建物もありますが、こちらは司祭館(司祭の居住用)です。

 

 

 

こちらに掲げられている「ME」とは、「パリ外国人宣教師団」こと「Missions Etrangeres de Paris」の略だそうですが、この二文字の前に「AI」を加えると、「AIME」となって、「愛する」「愛せよ」という意味にもなるとされています。正に教会に相応しい文字表記ということが言えそうですね。

 

 

聖堂の頂部には、こちらの大きな鳥が。

雄鶏の像で、一見風見鶏かと思ってしまいがちですが、ある方向に向けて固定されています。

ということで、ここで○×クイズを一つ。

「王道コース」では、「第○チェックポイント」と、完全に「アメリカ横断ウルトラクイズ」を意識した進め方をしていますが、ここでもまた、思いっきりウルトラクイズを意識した問題にしてみたいと思います。

 

問題「ニューヨークの自由の女神と、カトリック元町教会の雄鶏は、同じ方角を見ている。〇か×か」

 

さあ、どうでしょう。

この問題は「ニューヨークの自由の女神と、上野の西郷さんの銅像は、同じ方角を見ている。」という、実際に出された問題を基に考えてみました。

この問題が出されたのは、昭和59年(1984年)の第8回大会。当時はインターネットなんてものはこの世にありませんでしたから、調べるためには、市販の地図を参照するか、さもなくば直接現地に足を運ぶしかありませんでした。

しかし、今は何かと便利な時代。こんな問題が出されたら、すぐに調べて確実な答えを出せるようになりました。

思いっきりヒントを書いちゃいますが、この雄鶏は、太陽の昇る方角を向いて固定されています。

では、ニューヨークの自由の女神は、一体どの方角を見ているのでしょう。気になった方は、このブログで、「自由の女神」でブログ内検索をかけてみてください。幾つかヒットする記事のどこかに答えが書いてあります。

 

 

再び教会設備の写真。

あまり知られていないようなのですが、聖堂の裏に、マリア像が設置されています。

 

 

 

「ルルドのマリア像」というこの像は、こちらにも記載のとおり、1858年、南フランスのピレネー山脈の山麓にある「ルルド」という村での聖母マリアの出現を記念するものだそうですが、その日というのは、日本の「建国記念の日」に当たる2月11日だそうで、この偶然の一致から、このマリア像は、日本の教会において人気を集め、あちらこちらに同様の洞窟と像が設置されるきっかけになっているそうです。

現在も、毎年5月と10月には、信者が祈りを捧げています。

 

 

この十字架は、道南福島町の「大千軒岳」という山にあった金山で労働に従事していたキリシタン達が、1639年に、当時の松前藩によって処刑されてしまったことを伝えるものです。

当時、松前藩は、金掘りから税を徴収していたため、労働力は多ければ多いほどよかったことから、キリシタンの存在を無下にはできない事情がありましたが、1637年の島原の乱をきっかけに幕府がキリシタン禁制を強化したことから、松前藩もそれに耐えきれず、50名ものキリシタンを処刑してしまったそうです。

 


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