北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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ベイエリアを歩こう~2024 その5~

2024-06-22 19:58:23 | 函館

今日の午後、一週間後に迫ったガイドデビューに備え、現地で一人リハをしてきました。

最大の課題である時間配分は、話す内容を整理すれば何とかという感じで、当たり前の話だけど、どのチェックポイントで何を話すかを頭の中で整理することが重要になってくるんだろうなと思います。

緊張しっぱなしだと思うけど、せめて天候に恵まれてくれればと思います。

 

 

ここまでの快晴は望みませんが、雨風さえなく、歩きやすい陽気であるといいなと思います。

ということで、ベイエリア編の最終章(本当はまだまだあるんだけど、ひとまずここで区切ります)は、全て過去に紹介している場所ですが、復習を兼ねてということで。

まずはこちらのチェックポイントから。

何やら角錐系の構造物が見えますね。

 

 

「北電」と書いてありますが、これは「北海道電力」のこと。

そう、これは電柱なのです。

 

 

「北電」の前身である「函館水電会社」が建立したという、現存するコンクリート柱では日本最古となる電柱。

これまでも何度か触れてきましたが、明治期から昭和初期にかけて、函館は100戸以上が焼失する大火が実に26回も発生していていました。

この電柱は、1921年に発生した大火の復興事業の一環として設置されたもので、当時の電柱は木製が主流でしたが、当時頻発していた火災を考慮して、鉄筋コンクリート製の電柱を設けたとされています。

解説文に、「耐用年数を越えてもなお現役」とありますが、細かい部分(というか電力会社の考え)によって解釈が分かれるものの、財務省令では、コンクリート柱の耐用年数は42年とされています。

しかるにこの電柱は、昨年が建立100周年。耐用年数の倍以上現役として稼働していることになります。

 

 

そして、この電柱から少し離れた所にある、もう一本の電柱。

これは1996年に建てられた物ですが、元々、最古の電柱と同型の物が道路を挟んで設置されていたのが、1971年に道路工事によって撤去されてしまい、撤去から25年経って再建されたものです。

当時、2本の電柱は「夫婦電柱」と呼ばれていましたが、現存する2本は73年も差があるため、夫婦どころか、お爺ちゃんと孫娘、いや、どうかしたらひいお爺ちゃんかもしれない感じですかね。

 

電柱と言えばコンクリート製というのが一般的なイメージかとは思いますが、近年新しく建てられる電柱は、コンクリート製から鋼管製に変わりつつあります。

そう遠くない先、コンクリート製電柱自体が珍しいという時代が来るのかもしれませんが、そのような時代になったとしても、この2本は、機能が果たせなくなることがない限り残存していてほしいと思います。

 

 

 

最後は、こちらの像を紹介します。

 

 

女の子のようですね。

 

 

赤い靴を履いていますよ。

ということはもしかして・・・・

 

 

 

そうなんです。野口雨情作詞の有名な童謡「赤い靴」に登場する女の子の像なんです。

それって横浜の歌なのではと思われることと思いますが、諸説あるものの、実は函館が舞台とされているのです。

 

どういうことかと言いますと、この像のモデルである「岩崎きみ」ちゃんという女の子は、1903年、母親の「岩崎かよ」さんに連れられて本州から函館にやってきました。目的は、札幌から車で1時間半ほどの所にある「留寿都村」の農場に移住するためだったそうですが、体も弱く幼かったきみちゃんを連れて行くのは無理と判断したかよさんは、函館に在住していた宣教師のヒュエット牧師(近くにある「日本基督教団函館教会」)にきみちゃんを託したとされています。つまり、この函館が母子の別れの地になったというわけなのです。

その後、きみちゃんは牧師と共に渡米するはずでしたが、横浜で病死してしまいました。

そのことを知らないかよさんは、留寿都村で結婚した夫とともに札幌に移住しましたが、そのとき隣に住んでいたのが、「赤い靴」の作詞者である野口雨情夫妻で、かよさんから話を聞いた野口雨情が、きみちゃんをモデルに「赤い靴」の詞を書いたとされています。

野口雨情は当時、札幌の山鼻地区というエリアに住んでおり、このことから、山鼻地区の住民、学校関係者などが、歌詞に込められた歴史や雨情の思いを後世に伝えるべく協議を重ねた末、このエピソードを広く後世に伝え、「赤い靴」を歌い継いでいくことで、地元の「山鼻公園」という公園に「赤い靴」の歌碑が建立されています。

 

 

山鼻公園 - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

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実際にはきみちゃんは亡くなっていたということですが、野口雨情がそのことを知らなかったために、「異人さんに連れられて行っちゃった」という詞が書かれたということなんですね。

赤い靴の少女にちなんだ像は、他にも、横浜や小樽、東京の麻布十番などにありますが、児童福祉活動などに取り組む市民団体「はこだて赤い靴の会」が、親子の絆の大切さを伝えるべく、2009年8月、函館開港150周年に合わせて、この像を設置しています。

 

 

とまあこんな感じで、ベイエリア編はひとまず締めたいと思います。

実はここまで書いてきた文章は、各種資料を参考にして作った、ガイド用のオリジナルテキストの文章を、ほぼそのままコピペしたものです。

なので、どことなく文語体ではなく口語体になっている部分もありますが、お読みいただける皆様にも、その方が雰囲気が伝わるかなと思って、そのままにしておきました。

まだまだネタのストックはありますが、今後もこんな感じで続けていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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