北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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二つの天主堂

2009-09-23 19:11:14 | 道外旅行記



写真の建物は、グラバー園の近くにある、「大浦天主堂」。

その歴史は約150年前に遡り、パリ外国宣教会の、フューレという神父が、1863年に、同時期に来日した神父仲間や、現在の熊本県天草出身の棟梁の協力のもと、建造に着手。やがて1864年12月の竣工後、翌1865年2月19日には、パリ外国宣教会日本管区長ジラール神父を始め、フランス領事ら要人の出席もとに荘厳に祝別式を行い、『日本二十六聖殉教者天主堂』と命名して落成祝いを盛大に挙行したとされている。
その後、昭和8年(1933年)に文部省により国宝に指定されたが、昭和20年(1945年)8月9日の原爆投下によって甚大な被害を受けてしまった。
しかし、5年の歳月をかけて、昭和27年6月に修復工事を完了し、昭和28年(1953年)、文化財保護委員会によって国宝に再指定され、現在に至っている。





中は撮影禁止なので、少しアップさせてもう一枚。





構内にある、ヨハネパウロⅡ世の像。
天主堂の建物といい、この像といい、見ていると、特別な信仰心がなくても、何だか色々と考えさせられるような気がしてくる。





天主堂の側の土産物店が立ち並ぶ一角にあった「カステラ神社」。
神社と言うからには、当然、鳥居、お賽銭箱、それに御神籤があるので、勿論私も、御神籤を引いてみました。
どんなことが書いてあったかと言うと・・・

「激情の嵐に身を任せてはいけません 熱情は覚め易く 後になって儚い悔いが残ります 心を穏やかに持って日々を送るように心掛ければ 不運を免れます」

何だか、「仰るとおりでございます」って感じですね。
因みに個別項目で言うと・・・

願いごと「何事も情熱を持って 努力すれば叶う」
仕事「次第に上昇する」
恋愛「熱し易く 覚め易い一時の恋に身を焼く 穏やかな人と交際せよ」

ですって。
ま、頑張りましょう。(何をだ?)





続いてやって来たのが、「浦上天主堂」。
こちらも、歴史は約150年前まで遡る。
先述した1865年の大浦天主堂に建造に伴い、それを知った浦上の住民が信仰告白をしたことがきっかけとなって、社会への信仰の顕在化が行われたが、時の明治政府も、当初は江戸幕府と同様、キリスト教禁制を維持し、欧米政府からの反対を押し切って弾圧に踏み切り、浦上の住民は各地に配流されたとされている。
やがて禁制は解消され、半分近くまで減った信者が、浦上の地へ戻り、1879年(明治12年)に小聖堂を築き、大浦天主堂から専任の神父が来て、翌年に浦上村の庄屋を買い取り現在の地に移転したとされている。

その後、大浦天主堂と同様、原爆投下によって、原型を留めぬほどに破壊されてしまったが、1959年に、破壊された旧天主堂を模して現在の建物が完成。
破壊された建物の遺壁は、平和祈念像のある「平和公園」に移築され、広島の「原爆ドーム」と同様、平和を願う象徴として存在し続けている。





構内にある「信仰の碑」。
大浦天主堂と同様、見ていると不思議な気持ちに包まれてくる気がする。





おお、ここにもありましたか。ヨハネパウロⅡ世像。





最後に紹介するのがこちら。
別名「アンジェラスの鐘」とも呼ばれる物で、原爆によって吹き飛ばされた天主堂の鐘楼の一部が、天主堂の北方約30mの地点に落下し、現在でも現地で保存されている物。
被爆当時の位置は小川の中であったが、現在は川を整備して流れをずらすことで陸地に保存されている。被爆時のままに保存されている、旧天主堂本体の唯一の遺構である。
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