北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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裏参道

2021-08-29 17:22:21 | 札幌

 

中央区南2条西20丁目・・・って、それは見ればわかるか。

ここに、こんな名前の公園があります。

 

 

 

遊具が普通に整備されている、どこにでもありそうな公園ですかね・・・。

 

 

強いて特徴的な点を挙げるとすれば、こちらの大径木でしょうか。

樹齢どのくらいなのか、ちょっと興味があります。

 

 

 

その公園から西側へ通じる道路。

 

 

「裏参道」と書かれています。

ここから三条北にある通称「北1条通」が、「北海道神宮」へ通じる「表参道」と呼ばれていることは以前紹介しましたが、この道路は、それに対する「裏参道」と呼ばれています。

 

 

現在は、御覧のとおり、高層マンションが立ち並ぶ住宅街となっていますが、

 

 

写真の高層マンションが建っている場所には、かつて、「Vivre」というファッションビルがありました。

昭和50年代になると、地下鉄東西線の開業に伴い、この地域は、当時としては流行の最先端を行くお洒落なお店が続々とオープンし、「裏参道ブーム」なるものが巻き起こるほど、札幌市内でもトップクラスの繁華街として繁栄を極めていました。

赤丸の「Vivre」は、そのブームを象徴する人気店だったそうで、記載されているとおり、「札幌市都市景観賞」も受賞したほどでした。

(「Vivre」の外観はこちらを)

私はそういう時代のことは全然知りませんが、東京でいえば、原宿なんかに相当するような賑わいだったのだろうなと思います。

 

 

 

現在は往時ほどの賑わいはありませんが、それでも、個性的な外観の建物はそこかしこに見受けられます。

 

 

 

 

このビルの中にあるお寿司屋さんは、以前「イチオシ!!」の「しあわせ散歩」で訪れていました。

 

 

さらに西へ進んで行くと、一つ興味深い場所を見つけました。

 

 

 

「藻岩村」「円山町」。合併して札幌市の一部となった古い町村の名前ですね。

 

 

現在の「円山」周辺地域の歴史は、明治3年(1870年)、円山山麓付近に、酒田県(現在の山形県庄内地方)の農民30戸・90名が入植し、「庚午三ノ村」を形成したことに始まります。(「庚午」とは、その年の干支「かのえうま」のこと)

翌年、「円山村」と改称され、同39年(1906年)、ここよりも南側の「山鼻村」と合併して「藻岩村」となり、昭和13年(1938年)の一級町村制施行により「円山町」となり、同16年(1941年)に札幌市に編入されました。

そんなかつての役場跡地であるこの場所は、解説に書かれてこそいませんが、「裏参道発祥の地」とされているそうです。

 

コメント
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