デジカメ復活と函館残留を記念して、今日は久しぶりの西部地区散策へ出発。
残留も決まったことだし、これからまた、小さな名所の冒険などに力を入れてみたい。

今日行ってみたのは、函館山の麓にある「函館護国神社」。
数日前、友人との会話の中で出てきて、場所は知っていたものの、まだ行ったことがなかったので、行ってみようと思い立ち、足を運んでみた。


この神社は、1869年(明治2年)、箱館戦争が終わって、当時の兵部省が、新政府側の戦没者を慰霊するために造営した「招魂場」がそのルーツとされており、その後、1939年(昭和14年)に「護国神社」となり、箱館戦争以降、第二次世界大戦に至るまでの戦没者の霊が祀られているとされている。
刻まれている歴史の割には、訪れる人もそれほど多くないとの話を聞いたが、実際に足を運び、その歴史に触れてみると、ここもまた、日本の夜明けと蝦夷地の北海道としての発展に大きな意味を持つ場所なのだと実感させられた。

敷地内を散策していると、こんな物が。

「♪咲いた~ 咲いた~」って、懐かしいですね。
幼稚園の頃、園内でみんなで栽培していたのを思い出しました。

続いてこちらは、神社の裏にあるお墓郡。
一体どんな人たちのお墓なのかと言うと・・・、

「新政府軍の墓」として知られている一団の墓。
読みずらいかもしれないけど、戊辰戦争(箱館戦争)において戦没した、薩長官軍の慰霊碑であり、手厚く葬られていることがうかがえる。

敷地内にある「奉安殿」。
戦没者の御霊よ安らかにと願いたい。

最後に、神社に戻って一枚。
「なでふくろう」という名前で、「ふくろう」→「不苦労」という意味で奉られているのだそうです。
因みにここは、「縁結び」の神社だそうで、会話の主である友人もそのことを口にしていました。
特に意味はないのかもしれませんが・・・。
残留も決まったことだし、これからまた、小さな名所の冒険などに力を入れてみたい。

今日行ってみたのは、函館山の麓にある「函館護国神社」。
数日前、友人との会話の中で出てきて、場所は知っていたものの、まだ行ったことがなかったので、行ってみようと思い立ち、足を運んでみた。


この神社は、1869年(明治2年)、箱館戦争が終わって、当時の兵部省が、新政府側の戦没者を慰霊するために造営した「招魂場」がそのルーツとされており、その後、1939年(昭和14年)に「護国神社」となり、箱館戦争以降、第二次世界大戦に至るまでの戦没者の霊が祀られているとされている。
刻まれている歴史の割には、訪れる人もそれほど多くないとの話を聞いたが、実際に足を運び、その歴史に触れてみると、ここもまた、日本の夜明けと蝦夷地の北海道としての発展に大きな意味を持つ場所なのだと実感させられた。

敷地内を散策していると、こんな物が。

「♪咲いた~ 咲いた~」って、懐かしいですね。
幼稚園の頃、園内でみんなで栽培していたのを思い出しました。

続いてこちらは、神社の裏にあるお墓郡。
一体どんな人たちのお墓なのかと言うと・・・、

「新政府軍の墓」として知られている一団の墓。
読みずらいかもしれないけど、戊辰戦争(箱館戦争)において戦没した、薩長官軍の慰霊碑であり、手厚く葬られていることがうかがえる。

敷地内にある「奉安殿」。
戦没者の御霊よ安らかにと願いたい。

最後に、神社に戻って一枚。
「なでふくろう」という名前で、「ふくろう」→「不苦労」という意味で奉られているのだそうです。
因みにここは、「縁結び」の神社だそうで、会話の主である友人もそのことを口にしていました。
特に意味はないのかもしれませんが・・・。