自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★自民「まだまし」大勝

2012年12月16日 | ⇒トピック往来
 それにしても実に淡々とした選挙だった。国民に選択を迫るようなキャッチフレ-ズがあったわけではない。新たな時代の気分が醸成された訳でもない。自民が絶賛されるような公約を打ち上げわけでもない。第46回衆院選挙の投票率(小選挙区)は、59%前後となりそうで、前回(2009年8月30日)より10ポイントほど下落し、第41回(1996年10月20日)と並んで戦後最低水準に落ち込んだようだ。要は面白くない選挙だった。

 その理由のいくつかを考えてみる。民主が分裂したこと。さらに、政党の離合集散で12政党が候補者を出し、まさに多党乱立。前回の「政権選択」といった明確な選挙の構図に比べ、争点が分かりにくかったことだろう。

 自民は第44回(2009年9月11日)の郵政選挙以来の大勝で、単独過半数(241議席)を大幅に超えた。それほどに魅力ある公約を打ち出しての勝利だったのか。「民主政権はひどかった。自民の方がまだまし」というが、今回の大勝の背景ではないだろうか。

 私自身、選挙にはなるべく行くようにしている。そうしないと選挙の実感がわかないからだ。一票を投じると、その選挙がよく見える、選挙を考えるものだ。きょう午後1時過ぎに、自宅近くの投票場(小学校)に行った。毎回同じ時間に投票に行っている。駐車場の混み具合は前回並みだった。投票場は体育館だが、これまでは、入り口で上履きを脱ぎ、スリッパに履き替えて入場したが、今回はビニールシートが床の上にはってあり、上履きでも行けるようになっていた。周囲を観察すると、心なしか、高齢者の姿が少なかった。20代とおぼしき、若い人がいた。出口では地元のテレビ局が出口調査を行っていた。

 午後9時、金沢市の開票場となっている中央市民体育館に行った。同9時30分から開票作業が始まった。ここでは、2階の開票場の様子が3階から見渡すことができる=写真=。新聞社やテレビ局の調査スタッフがざっと60人近く開披台調査を行っていた。双眼鏡で開票者(自治体職員)の手元を覗きながら、小選挙区の候補者名をチェックしていく。石川1区(金沢市)の場合、自民の馳浩(はせ・ひろし)氏と民主の奥田建(おくだ・けん)氏、維新の小間井俊輔(こまい・しゅんすけ)氏、未来の熊野盛夫(くまの・もりお)氏、共産の黒崎清則(くろさき・きよのり)氏の候補者5人がいる。双眼鏡で覗くスタッフが「ハセ、ハセ、オクダ、ハセ、コマイ…」などと読み上げる。それを、別のスタッフが○でチェック記入して、多い候補者が50ポイントなるまで読み上げる。すると、「馳50、奥田23、小間井22、熊野7、黒崎6」などと数字が出てくる。この時点で、いったん終了し、別の開票者の手元をチェックする。

 午後9時50分に選挙管理委員会が開票速報の第1回をボードに貼り出した。各候補者はまだゼロとなっていた。が、この時点である新聞社と系列のテレビ局の合同の開披台調査では、「馳1000、奥田430、小間井400、…」の数字を掴んでいた。

 北陸は「保守王国」とも言われ、自民が比較的強い。ただ、石川1区(金沢市)の投票行動は選挙全体の縮図のようなところがあり面白い。石川1区の選挙結果(確定票)を分析してみる。当選の馳(自民)は99,544票、2番目の奥田(民主)47,582票、小間井(維新)41,207票、熊野(未来)10,6291票、黒崎(共産)8,969票だ。2009年の前回では奥田12万5千、馳11万7千だった。これまで3回の衆院総選挙では馳、奥田はそれぞれ10万票前後で競ってきた。つまり基礎票がそれぞれ10万なのだ。

 ところが、今回は奥田、小間井、熊野でほぼ10万票、ということは奥田のもともとの基礎票10万を3人で分け合ったカタチとなった。馳が伸びたのではなく、奥田が半減したのだ。乱暴な言い方をすれば、「自民まだまし、民主には幻滅、維新に少し期待」という有権者の思いが数字に表れた、とも言える。裏返しで言えば、自民は数字の上では大勝だが、これは敵失での勝利だ。むしろ、本格的な政変の始まりなのかもしれない。

⇒16日(日)夜・金沢の天気   はれ   
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