自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆2012ミサ・ソレニムス~6

2012年12月29日 | ⇒トピック往来

ニューヨーク在住のプロ野球、松井秀喜選手(38歳)が日本時間の28日、現役引退を発表した。同市内で記者会見した。会見の様子をテレビで見て、印象的だった言葉。「今の心境は」と追われて、「寂しい気持ちとホッとした気持ちと、複雑ですね。まあ、引退ということになるが、自分としては引退という言葉を使いたくはない。草野球の予定もあるし、まだまだプレーしたい(笑)」。正直者の松井選手らしい本音が出たと思った。市内のホテルの一室を借り切った会見は急だったにもかかわらず80人のメディア関係者が集まり、10台以上のテレビカメラが並び各局が生中継した。通訳をつけずに松井本人が1人で日本語で話した。アメリカのメディアの姿も見られ、会見時間は45分間だった。

     「野球の天才というより、努力の天才」 松井秀喜選手の引退

 松井選手のホームタウンは石川県能美市にある。私は金沢のテレビ局時代に何度か自宅を取材に訪れた。松井選手が星稜高校の時代、「夏の甲子園」石川大会の中継、本大会での取材と夏は松井一色だった。強打者ぶりは「伝説」にもなった。1992年夏の全国高校野球選手権2回戦の明徳義塾(高知)戦で、5打席連続敬遠されて論議を呼んだ。

 高校卒業後の松井は破竹の勢いだった。1992年秋、ドラフト1位で巨人に入団。セ・リーグMVP、ホームラン王、打点王をそれぞれ3度、首位者を1度獲得。2002年オフにフリーエージェント宣言、ヤンキースに移籍した。メジャー挑戦1年目の2003年、本拠地開幕戦で、メジャー1号を満塁弾で決めた。2007年、日本人ではイチロー選手(現ヤンキース)に続いて2人目となる日米通算2000安打を達成した。2009年にはワールドシリーズでは3ホーマーを放ち、シリーズ最優秀選手(MVP)に選ばれた。日本とアメリカで通算507本のホームラン。日本で10年、アメリカで10年、松井選手にとって20年間のプロ野球人生だった。

 数々の記録を持つ松井選手だが、彼の記録の真骨頂は何か考えた。2006年5月12日(日本時間)、ヤンキース-レッドソックス戦の1回表の守備で、レフトへの浅い飛球をスライディングキャッチしようとして左手首を負傷、そのまま救急車で病院に向かい、骨折と診断された。これで巨人入団1年目の1993年8月22日から続いていた日米通算の連続試合出場は前日までの1768試合(日本1250試合、米国518試合)でストップした。松井選手の父親、昌雄さんはこう言って息子を育てたそうだ。「努力できることが才能だ」。無理するなコツコツ努力せよ、才能があるからこそ努力ができるんだ、と。ホームランの数より、一見して地味に見える記録だが連続出場記録にこだわったのもプロとは本来、出場記録なのだと見抜いていたからだろう。松井選手は野球の天才というより、努力の天才なのだ。地元紙によると、来年3月に第1子が生まれるそうだ。新たな人生が始まる。

⇒29日(土)朝・金沢の天気   はれ

 


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